『家族という幻影』
むかしむかし、あるところに「日本保守党」という政党があった。
そこでは、「家族」という言葉が重々しく語られ、時に軽々しく使われた。家族とは何か。誰のためにあるのか。人々が口々に「大切だ」と言いながら、その実、何を指しているのかは曖昧だった。
「家族の枠組みをなくすというのが共産主義者の基本的考え方なのじゃ」
そう言ったのは、パイプユニッシュという男だった。福井の山奥からやってきたこの議員は、政治とは言葉の剣術であると信じていた。
「そうですよね!」と大きくうなずいたのは、事務総長だった。
「知ってる、アタシそれ知ってる! 家族のシステムをいじるっていうのは、ものすごく大事な話よね!」
そこへ、か細い声が響いた。
「でも、わたし…」
ちさだった。名古屋弁の訛りが、少し震えている。
「事務総長は、ちょっと前に『旧姓にこだわりたいなら結婚しなきゃいい』って言ってませんでしたか?」
沈黙が、会議室を支配した。
事務総長は、一瞬、遠い目をした。まるで、自分が過去に発した言葉が他人のものになったかのような顔だった。
そして、曖昧な笑みを浮かべた。
「今日はその話ですか?」
言葉は誰のものなのか?
言葉を発した瞬間、それはもう話者のものではなく、受け手のものになる。だが、受け手が言葉の意味を問い返したとき、話者はそれを所有していたことすら忘れてしまうのか。
「ええゆうてるんちゃうで」
関西弁が静寂を破った。
代表だった。
「恋すれば何でもない距離やけど、疑えば果てしない距離や!」
その言葉に、会議室の誰もが沈黙した。
──家族もまた、そうではないか?
愛があれば、たとえ遠く離れていても、家族でいられる。だが、一度疑念が生じれば、同じ屋根の下に住んでいようとも、見えない壁が立ちはだかる。
「キキーッ!家族制度なんてなくすべきだべ!」
唐突に、不快な甲高い笑い声が響いた。
そこにいたのは、ま猿🐒だった。
「訴訟じゃ!」
コトエが叫んだ。
「矛盾しとる! 言ったことをすぐに忘れるとは、存在そのものが名誉毀損じゃ!」
存在とは何か?
記憶と矛盾が交錯する世界において、人間は何をもって「自己」を証明できるのか。もし言葉がその時々で形を変えるのであれば、人の存在もまた、揺らぐものなのか。
「うるさい! 静かにしろ!」
ピライが癇癪を起こした。
しかし、誰も静かにはならなかった。言葉が交錯し、意見が錯綜し、結論は遠ざかるばかりだった。
その中で、ちさは黙っていた。
家族とは何か。
言葉がすれ違うように、家族もまた、すれ違いながら形を変えるものなのかもしれない。
彼女はふと、窓の外を見た。
曇った空の向こうで、陽が沈んでいく。
家族というものが、形として存在するのではなく、概念として漂うものであるならば、人はいつまでもそれを語り続けるだろう。
そして、語るたびに、その意味を見失っていくのかもしれない。
──おしまい。
考察の余地
この物語は、「家族」というテーマを通じて、言葉の持つ曖昧さや、人間の記憶の不確かさを浮かび上がらせる。政治の場で語られる「家族」は、個人の感情とは無関係に、ある時は神聖視され、ある時は切り捨てられる。
物語の中で、代表の言葉「恋すれば何でもない距離やけど、疑えば果てしない距離や」は、家族という関係性が信頼によって成り立っていることを暗示する。だが、その言葉自体が空虚であるために、読者はむしろ「家族とは、誰かのための言葉にすぎないのではないか?」と考えざるを得ない。
政治的な議論において「家族」がどのように利用され、そして言葉がどのように消費されるのか。本作は、その問題を浮き彫りにする試みである。
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