2025-04-19

火葬之宴記――思死録抄(かそうのうたげのき しをおもふろくしょう)

火葬之宴記――思死録抄(かそうのうたげのき しをおもふろくしょう)

死とは、常なき世の常なれば、憚らずとも、厭はずとも、いづれは必ず誰が身にも来るものとこそ、古の賢き人は教へおけり。然れども、今の世の人々は、死を穢れと恐れ、忌むものとし、眼を背け、声を低くし、ことさらに遠ざけて、語らず、思はず、ただ日々の栄と利とに溺れ、終焉をば夢の外に追いやることのみ巧みなり。

ああ哀しき哉、死を忘れたる人の群。
ああ憐れなる哉、生を識らざる人の業。

されば、ひとりの翁ありき。
齢八十に及び、白鬚たなびきて、行歩もたどたどしきに、眼光猶あざやかにして、声には風の如き力あり。かの人、ある春の暮れ方、庭の楓に凭れ、ひとり言ふやうに曰く――

「我が命も、まもなく尽きるべし。然れども、かくも佳き月影の下に、此の世を終ふるは、まことに悦ばしきことぞ。願はくは、我が葬りの儀、常ならぬものとせよ。
泣くことなかれ、喪に服すことなかれ。
むしろ、笛を吹き、琴を弾じ、香を焚き、詩を吟じ、酒を注ぎて、火の前に円坐をなし、我が肉体の焼け崩るるをば、ひとつの祝ひの如くに、語らひ、興ぜよ。」

斯くの如く告げてのち、翁はふたたび言葉を発せず、ただ月を仰ぎ、微かに笑みて、やがて眠るごとく息絶えたり。

かくして数日の後、遺言のままに、火葬の宴、催されぬ。
野辺送りの歌、古調にのせて若人らがうたひ、女どもは艶やかなる衣装を着こなし、香花を手にして舞ひ、長老らは経を唱ふるに代へて、漢詩を朗誦し、児らは翁の生前を語りて声高らかに笑ふ。

白木の棺、篝火の如き炎の中に沈みゆくとき、
火柱は天を衝き、煙は雲となりて、青空に溶け入れり。
風の音、ひととき鎮まり、ただ香のかをり、遠くまで漂ふ。

灰燼のなかより、かの翁の姿、また現れしごとく感じられ、ある者は涙を流し、ある者は微笑み、ある者はただ、じつと火を見つむ。

その夜、火を囲みて、皆ひとりひとりに詠ひける。或る若き学者、涙ぐみて詠ず――

 世のことは つひに炎のなかに果つ
 されどその烟 雲をつくなり

また或る老女、杯を手にして詠ず――

 ひとたびは 肉の衣をぬぎすてて
 魂まどろむ 春の宵かな

かくて宴は夜を徹して続き、死は恐れの客にあらず、むしろもてなしの賓客に似たり、と誰もが口を揃へぬ。
その後、翁の灰をば、小壺に納め、庭の楠のもとに埋めぬ。壺の上には石を置かず、ただ春草を植ゑ、蝶の遊ぶを待てり。

ああ、いと幽かにして、いと清らなり。
これぞ、真の「メメント・モリ」、すなはち「死を想へ」の実践なるべし。
死を思ひて、初めて生を知る。生を尽くして、初めて死を悦ぶ。
死を祭ること、すなはち生の勝利なり。火葬の宴、いとめでたく、いと尊く、いと楽しかりき。


【火葬之宴記・続】

――余焰(よえん)にたゆたふ魂の記憶――

あの夜、火の宴ののち、里の空気はなにやら静まり、風の音すらやわらぎたり。小鳥らの囀りも、まるで彼の翁を偲ぶかのごとく、ひそやかに、調べを低めて囁きぬ。

火葬の翌朝、灰のなかより拾われたる白き小片、まことにかろやかにして、温もりあり。人々はそれを掌にのせ、ただ黙して見つめたり。その一片こそ、翁の生きたる証なれども、また翁がすでに形なきものとなりし印でもありき。

されど不思議なることには、火葬の後よりというもの、里の者どもが変はり始めたり。誰が命じたるでなく、老若男女、日ごと夕暮れの頃、広場に集ひて火を囲みぬ。焚火の音に耳を澄まし、煙の匂ひに季節を嗅ぎ、誰となく語り、誰ともなく笑ふ。日ごろ話すことなき者同士までもが、火を介して心を通はせるようになりぬ。

或る夜のことなり。老僧、火を見つめながら、独りごつ。

「火とは、なにゆゑかくも人の心を開くや。火に焼かれしものは滅すれど、火を見つめし者は、むしろ生き返るがごとし。」

そのことば、隣にゐた若き娘が聞きとがめ、

「ならば、わたくしも毎夜、少しずつ生き返るのでせうか。」

と笑ふやうに問ひぬ。老僧、うなづきて答ふ。

「さやう。死を想ひ、生を見つめる者は、夜ごとに新しき心を宿すものなり。」

――斯くして、火葬は葬送にあらず。
火葬は、ひとつの「問ひ」なり。
死とは何ぞ、生とは何ぞ、魂とは、記憶とは、愛とは。
火はただ照らすのみ、応ふることなし。
されど火を見つむるまなざし、その深きに応じて、見ゆるものあり。

時の流れは早し。翁の死より三年。
その火葬の場に立ち合ひし者らの間にて、ある風習が根づきぬ。

年に一度、春の宵、老若集ひて「火の夜」を催すことなり。
亡き者の名を呼び、語り、笑ひ、舞ひ、歌ふ。
涙もまた火に投げ込み、灰にして天に還す。
かくて、この里には、「死を想ふ」ことのうちに、ひとつの文化、ひとつの美しき連帯が生まれぬ。

そして、いま。
この記を記せしは、あの火葬の場にゐたりし、ひとりの童なりし者なり。
いまや髪に霜まじり、筆をとる手に皺深く、されど、火を囲みて見たるあの光景は、いささかも薄れず。
――いや、それどころか、年を経るごとに鮮やかとなりて、我が心の奥に宿りし火は、絶ゆることなし。

火の宴は、すでに亡き翁ひとりのためにあらず。
いまや、それは我ら皆の生を照らす、共なる灯火となりにけり。

死を想へ。
それは、過ぎし者らへの敬意にして、
いまを生きる己れへのまことの問いなり。


【結びにかへて】

この記を読まれし方、願はくは一度、ひとり静かに火を見つめ給へ。
蝋燭の焔でもよし、焚火の炎でもよし。
火は語らず、然れど、火を通して見ゆるものは多かりき。

人の世の営みも、終には灰となりぬれども――
その灰のぬくもりを知らむ者のみが、
真に「生きてゐる」といふことを識るのなり。


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