2025-04-20

焔(ほむら)の底で、ぼくらは待っていた

 

焔(ほむら)の底で、ぼくらは待っていた

雨は降っていなかったが、地面は湿っていた。雨が降ったかどうかよりも、誰かが泣いたのではないかと疑いたくなる午後三時。彼岸花が、道の端に咲き乱れていた。まるで炎が地を這っているようで、子どもの頃なら踏んで遊んでいたかもしれぬ。しかし齢を重ねてしまうと、どこかその赤が、死者の声のように思えてならない。

かつて、父は火葬場の炉の前で言った。「これは、いのちの終わりではない。法というものが、やさしく寄り添うとき、人は骨になる」と。その意味を、あの日のわたしは半分だけ理解し、もう半分は――あの人の後ろ姿ばかりを見ていた。黒い羽を思わせるような、あの、静けさをまとった輪郭を。

かの地には、まだ「土の祈り」が生きていた。埋めるという行為が、火にくべるよりも長く、静かで、やさしいように思われていた。誰かがそっと土をかけ、黙して合掌し、あとは風の音だけが語っていた。けれど、時代は火を選んだ。たしかに火は早く、確かで、誰の手も煩わせない。だが、火にはなにか、奪う力があるようにも感じられた。

その火が、戦の中では別の意味を持ったと聞いたのは、あれより何年も後のことだ。煙の向こうで、人が数えられなくなっていた。いのちの重さが、数字で語られることほど、空恐ろしいものはない。戦争犯罪の隠蔽。骨の行方も定かでなく、ただ焦げた地面だけが、すべてを飲み込んでしまう。

けれど、そこにも「火の器用さ」はあった。きれいに焼ける。煙を上げずに、音もなく。技術は進んだ。最新式の火葬炉は、まるで死者が風に変わっていくのを手助けするかのように、静かだった。だが、そんな静けさが、誰のためのものだったのか――それは今も、わからない。

彼女が火葬炉の煙突を見上げたとき、わたしは見ていた。高く舞い上がる煙を、まるで祈るように、いや、祈られているように眺めていたあの横顔を。名前は知らぬ。名を聞こうとも思わなかった。ただ、羽のような影が、その背から広がっていたことだけは、はっきりと覚えている。

それはきっと、あの土地の山に住むものの子孫だ。伝説の影をまとった何か。けれど、わたしにはただ一人の、あの日、骨壺を抱えて歩く姿に、どうしようもなく心惹かれた誰かだった。

そして、それが恋だったのかどうかさえも、今はわからない。昭和の終わりには、そんな曖昧さが許されていた。誰にも知られず、誰にも求められず、ただひっそりと、心の奥でくすぶるようなもの。メメント・モリ。死を想え。そして、生きているこの瞬間を、失う前に、そっと抱きしめろ。

わたしはいまも、あの火の向こうで待っている。いや、待っていると思いたいのかもしれない。待つことこそが、わたしに残された最後の祈りだから。あの人が、羽の音を立ててふたたびあらわれることを夢見て。

それは神話ではなく、ただの記憶なのだ。どこにでもある葬りの景色。けれど、その中で誰かを想った記憶だけが、火にも土にも消されずに、ここにある。

わたしの中に、ずっと、残っている。


ふと、線香の香りが鼻先をかすめた。ここはもう、かつての火葬場ではない。駅から徒歩十五分、バスも通らぬ丘の上に、小さな霊園が新しく整備されていた。手すりの金属も、新しい砂利も、どこか人工的で、しかし不思議なことにそこには、懐かしさすらあった。

火で焼かれた者の骨を、壺に収める儀式。それが終わってしまえば、遺された者たちは、手持ち無沙汰になる。花を供え、手を合わせ、それから、ぽつんと時間が残る。

わたしは、その残った時間の隙間に、いつもあのひとを思い出す。たとえば、台車式火葬炉のように、静かに骨を整える姿を。あるいは、ロストル式のように、早く、烈しく、誰にも気づかれぬうちに骨になってしまった誰かを。ひとの火葬にも、どこか性格のようなものがあるのだと、歳を取ってから気づいた。

炎は、優しくも残酷だ。あの戦の時代には、それは隠蔽の道具にもなった。火葬車が走ったと聞く。書類よりも早く、名前よりも早く、人が煙になる時代があった。骨は拾われず、遺族の元には帰らなかった。

「忘れろ」

火はそう命じるように燃える。けれど、土は違う。「思い出せ」と言っているような、あの重たさが、しっとりと記憶を包み込む。わたしがまだ若かったころ、祖父が小声で呟いたのを思い出す。

「いのちの終わりに、法が寄り添ってくれる時代になって、ありがたいもんじゃ」

そう言った祖父の背には、きっとあの人と似た影が差していたはずだ。そう、あの人。名を呼ぶことも叶わず、ただ彼岸のたびに、どこかで羽音を感じるたびに、胸がざわつく。

かの人が、一度だけ笑ったことがある。炎の前で、ではない。骨壺を収めるときでもない。石の裏に、小さな猫が雨宿りしていたのを、そっと見つけて――あのひとは、ほんの少しだけ、口角を上げた。それだけのことだ。だが、あれがなによりも、いまも目に焼き付いて離れない。

恋だったのか? わからない。

けれど、きっと、思い出というものは、恋よりもずっと執拗で、やさしくて、そして冷たい。

そういう風に思えるようになったのは、いつからだったか。

丘の向こうで、夕陽が燃えていた。

焔(ほむら)という言葉には「こころ」と「火」が含まれているという。だからか、火は、わたしたちのいちばん奥底を照らす。燃やしながら、映しながら、残しながら――。

それが骨になる瞬間を、わたしは何度も見てきた。けれど、いちばん焼き切れなかったのは、彼女の最後のうしろ姿だ。

それは、たしかに見送ったはずだった。火にくべられた記憶もある。けれど、どこかで、あの人はまだ羽ばたいているような気がしてならないのだ。いや、気がしているだけだ。そういう風に、あってほしいだけだ。

昭和が終わり、平成も終わり、令和となってなお――わたしは、あの焔の底で待っている。

もう一度、炎のなかに、あの人の影を見つけるそのときを。

それが幻想でも幻視でも、もはやどうでもよい。火と土と骨と――そしてひとつまみの淡い祈りとともに、生者であるわたしは、生きている。

そして、ときおりふわりと風が吹くたびに、空を見上げる。

あの山のほうから、だれかが、こちらを見ているような気がするのだ。

名前を呼ばないようにしているのは、その気配があまりにも近いから。

呼んでしまったら、もう、戻れなくなりそうで。


ふりかえると、風景のなかには、いつも煙突が立っていた。まるで町の番人のように、遠くからでもすぐ見つけられるそれは、けれど近くで見ると、ただ静かに空を裂くだけの鋼鉄の柱だった。

そこからはもう、煙は出ない。環境基準だとか、近隣住民への配慮だとか、聞こえのいい言葉が並ぶたびに、わたしは少しだけ胸が痛む。煙がなくなったぶん、記憶まで、薄くなったような気がして。

骨壺の中におさまった白いかけらたちが、なにかを語っているようで、わたしはときどき耳を澄ます。

――なぜ、焼かれたのか。 ――なぜ、ここに残ったのか。 ――なぜ、だれにも名を呼ばれぬのか。

返ってくるのは、たいてい無音だ。ただ、その沈黙が、火葬という儀式の本質を静かに教えてくれる。

それは、「消すこと」ではない。 それは、「納めること」でもない。 それは、「遺すこと」なのだ。

火によって遺されるもの。それは、骨ばかりではない。目に見えぬものが、かえって濃く、そこに漂う。

子供のころ、火葬場の近くに、ひとつだけ妙な地蔵があった。高さはわたしの胸ほど。顔は削れ、手のひらには丸いものが乗っていた。人はそれを「忘れ地蔵」と呼んでいたが、だれがそう名付けたのかは、とうとうわからなかった。

夏の夕暮れ時、その地蔵の前で、彼女が小さな折り紙を供えていたことがある。赤い鶴だった。風に揺れてすぐに飛んでいったけれど、彼女はなにごともなかったかのように、また静かに歩き出した。

「だれに折ったの?」

そう問えたら、わたしは今とは違う道を歩んでいただろうか。いや、それは、やはり訊けなかった。訊くには、あまりにもあの背中が、聖域のようだった。

人が火に焼かれるとき、その人の背中は、いちばん最初に見えなくなる。けれど記憶のなかでは、背中は最後まで消えない。

その背に、羽が生えていたかもしれない、などとは、いまさら言えやしない。

秋の入り口で、今年も合同の慰霊祭があった。

整列された白木の位牌たち。手を合わせる老女たち。孫の手をひく若い父親。焼香の煙が風にのって、どこか遠く、ほんとうに遠くへと運ばれていく。

わたしはといえば、今年もその場に、いるようで、いない。

焼かれた者たちは、いつの間にか、年齢を超えてわたしのなかに入り込んでいる。父の声で語る少年。姉の笑顔で泣く兵士。幼い日のあの子が、老婆の目で手をふる。

そして、そのなかに、ひとりだけ、視線を向けないひとがいる。

ふいに、鴉の羽音がした。ほんのわずか、かさりとかさりと。

それだけで、わたしは、心を読まれたような気がした。

「火の時代に、土の祈りを」

その言葉を口にしたのは、だれだったろう。戦のなかで、焼かれてしまった書簡か、それとも、法の整備に尽力した誰かの訓示か。

けれど、わたしは思うのだ。

その祈りは、あのひとの中に、たしかに息づいていた。

火のふちで、ひとの骨を拾うということ。

その白さを見つめながらも、決して目をそらさず、そっと、そっと、拾い上げる指先。

その仕草のうしろには、確かに、見えない羽音があった。

あのひとの名を、わたしは今も知らない。

けれど、名を持たぬままに宿る愛があるとすれば――それは、焼け跡のなかで、じっと残る、ひとひらの骨のようなものかもしれない。

火が尽きて、骨だけになったあと――

わたしはもう一度、ひとりの影と再会できる気がしている。

それは妄想だと、誰かは言うだろう。

けれど、死と法と祈りが交わる場所では、ときおり、とても静かに、恋が生まれるのだ。

声にならぬほど淡くて、骨にすら刻まれぬほど、やさしく。

そしてきっと、それは、まだ、終わっていない。


午後三時を少し回ったころ、火葬炉の傍らに、わたしはまたひとり立っていた。職員の説明は手慣れていて、火の時間、骨の拾い方、炉の温度まで、まるで読み上げる祝詞のように淡々と語る。

それを聞きながら、わたしはふと、かつて聞いた声を思い出していた。

「炎は、無慈悲じゃないのよ」

そう言ったのは、たしか、遠い夕暮れだった。風鈴がまだ鳴っていて、セミの声が遠ざかりはじめた頃。彼女は木陰に腰をおろし、ゆっくりと団扇をあおいでいた。

「炎は、ただ…ぜんぶを等しくするだけなの」

その言葉の意味を、当時のわたしは知らなかった。いや、知ろうともしなかったのだろう。けれど、今ならわかる気がする。

善も、悪も、美も、醜も、誇りも、屈辱も、全て、白い骨に変えてしまう。炎とは、そういう存在なのだ。

けれど、等しさというものが、残酷でない世界があるとすれば――それは、死者の国なのかもしれない。

火葬炉の中で、骨が焼き上がる時間。わたしは隣室の控え椅子に座り、記帳の紙を指先でなぞっていた。亡くなった人の名前の欄に、ひとつだけ、まるで冗談のように美しい字があった。

「葉隠」

それが名前なのか、筆名なのか、それとも誰かの記憶の綽名なのか、わたしにはわからなかった。けれど、どこかで見たような筆跡に、胸がちくりと痛んだ。

思い返せば、あのひとの書く文字は、どこか鳥の羽のように細く、鋭かった。

鳥――

そうだ、鳥といえば、あの頃の話を思い出す。

山のほうへ遊びに行ったとき、彼女は小さな紙片を持ってきて、枯れ枝にくくりつけた。それは、おみくじのようでもあり、祈りの札のようでもあった。

わたしがそれを覗き込もうとすると、

「だめ、それは、読むものじゃないの」

と彼女は微笑んだ。あのときの笑みは、なにかを悟っている人間のそれだった。

だからわたしは、いまだに読めずにいる。記憶のなかにある、その小さな紙片の文字を。

読めないということは、きっと、言葉よりも大切なのだ。

骨上げがはじまる。静かな沈黙のなかで、竹箸が白い欠片を拾い上げる。そこに、言葉は要らない。

遺された者が、あの人の背骨を拾い、その膝の皿を拾い、あごの骨を拾う。

そこには、祈りのような、赦しのような、言葉にできぬ気持ちが流れていた。

それを見ながら、わたしはただ黙って、ひとつの骨に、彼女の面影を重ねていた。

炎はなにも語らない。

けれど、焼けたあとに残った骨が、すこしだけ傾いていた。

まるで、こちらを見ているように。

まるで、わたしに気づいてくれたように。

まるで、かすかな、恋の気配のように。

帰り道、秋風がひゅう、と吹き抜けた。

夕陽がちょうど川の向こうに沈みかけていて、水面がきらきらと光る。その光のなかに、黒い羽がふたつ、ふわりと舞っていた。

誰のものでもないそれを、わたしは目で追いかけた。

その羽が、どこかへ飛び去るまで。

どこかで、また会える気がして。

もう、名前はいらない。

もう、声もいらない。

ただ、骨の片隅にそっと残る、あたたかな気配だけが――

わたしにとっての、たったひとつの、答えだった。


https://x.com/lif_agitator/status/1913872001544163509

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ハマス

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