タイトル:死と生のあわいに生きる──民俗に息づく「死」の知恵
はじめに:死をめぐる民俗の知
人は誰しも死を避けることはできません。けれども、死に向き合う態度や死のとらえ方は、時代や文化によって大きく異なります。今回は「死をめぐる民俗」、つまり人々の生活の中で長いあいだ伝えられてきた死に関する知恵や習俗について考えてみましょう。ここでいう「民俗」は、理論や宗教ではなく、日々の暮らしの中で試行錯誤から生まれた「経験知」です。これは理性よりも直感に近い形で、死という不可視の現象に接近してきた、人間の智恵の集積です。
1. 死の予兆という民俗知
かつての日本人は、死が近づくと何かしらの「予兆」が現れると信じていました。こうした信仰は、個々の体験が集合知として蓄積された結果といえるでしょう。たとえば──
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「柿の木から落ちると死ぬ」:柿の木は枝がもろく、怪我をしやすい。そこから、落下事故=死という図式が作られた。
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「墓地で転ぶと死ぬ」:死者に近い空間での転倒は、何かの象徴と感じられたのかもしれません。
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「小鼻が落ちる」「影が薄くなる」:衰弱した身体の変化が、死の兆しとされた。
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「カラスの鳴き声」「松の枯死」「馬の嘶き」:動植物の異変が、死者の出現と結びつけられる。
これらは一見迷信のように思えるかもしれませんが、実際には死の出来事に直面した人々の記憶が、因果関係を持たせて再構成された「ナラティブ」なのです。
2. 霊肉二分論と死後の儀礼
人が亡くなると、肉体から霊魂が離れるという考え方があります。これを「霊肉二分論」と呼びますが、日本の民間信仰においてはこの霊魂が迷わず冥界へ旅立てるようにさまざまな儀礼が行われました。
たとえば「タマヨバイ(魂呼ばい)」という儀式があります。臨終直後、肉体から離れた霊がさまよってしまわないよう、大声で死者の名前を呼びかけ、霊を呼び戻す行為です。霊がまだこの世に留まっているという前提で、名前を通じて呼び寄せようとするこの行為には、言霊信仰の影響も見られます。
特に興味深いのは、実際に青森県の恐山で「誰々帰ってこーい」と叫ぶ場面が観察されたこと。これは死が日常と地続きであることを示す、象徴的な現象です。
3. あの世は遠くない:臨死体験の語り
死後の世界は、実は我々のすぐそばにある──そう考える民間信仰の証左として「臨死体験」があります。
たとえば『現代民話考』には、昭和初期に亡くなった父親に「あの世はまだ早い」と引き戻された話が記録されています。また、青森の巫女Hさんの体験談では、三途の川や列をなす仏たち、手を振る人々など、共通の象徴風景が現れます。これは臨死状態にある人が共通して見る「文化的構造」を感じさせます。
とくに印象的なのは、Hさんが「父親の呼びかける声」でこの世に戻ったというくだり。死は不可逆の事象ではなく、「呼ばれれば戻れるかもしれない」という柔らかさを持って捉えられています。
4. "お迎え"現象のリアル
死期が近づくと、故人が目の前に現れる──こうした現象を「お迎え」と呼びます。これは単なる幻想ではなく、実際に医療現場でも観察されています。
宮城県の在宅ホスピス「岡部医院」の岡部健医師によると、575件の看取りのうち、226件(約42%)でお迎えの体験が報告されています。自宅で静かに死に向き合う環境だからこそ、このような「現象」が現れやすくなるのかもしれません。
たとえば、死を目前にした患者が「親父が迎えに来た」と言い、まるで既にそちらの世界が見えているかのように振る舞う様子。これは「死」と「生」が完全に断絶しているのではなく、グラデーション的に移行していくことを示しているようです。
終わりに:死を拒絶せず、包み込む文化へ
民俗は、「死」を不気味なものとして遠ざけるのではなく、それを生活の一部として受け入れ、意味づけてきました。死者は完全に断絶された存在ではなく、時に帰ってくる存在でもあり、予兆を通じて生者に語りかける存在でもあります。
科学では割り切れないものを、生活の知として包み込んできたのが「民俗知」でした。それは今も、多くの人にとって心の拠り所であり続けています。死と向き合うことは、生の意味を問い直すことにほかなりません。
日々の暮らしの中で語り継がれてきた死の知恵──それは、私たちの命がいつか終わるという事実に対して、恐れではなく理解と受容で応じるための、静かな知なのです。
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