「歯だけでも納めたい」――山とお寺にこめられた日本人の祈りと想い
こんにちは。今日は少し不思議で、でもとても大切な日本の風習についてお話ししたいと思います。
テーマは「歯の骨をお寺に納める」――そう聞くと、「えっ?歯だけ納めるの?」と驚かれる方もいるかもしれません。でも、これは日本の古くからの風習のひとつで、「歯骨納骨(しこつのうこつ)」と呼ばれています。
実はこの風習、日本各地に今も残っていて、人々の「亡くなった人を大切に思う気持ち」が強くあらわれているんです。
■「宗教嫌いのお骨好き」な日本人?
このお話のきっかけは、私の恩師でもある宗教学者の山折哲雄先生の言葉でした。
「日本人は宗教は嫌いだけど、お骨は大好きだ」
なんだか冗談のようにも聞こえる言葉ですが、とても深い意味がこめられています。
実際、日本人は仏教や神道といった宗教の教えにはあまり熱心ではない人が多いと言われています。でも、お墓まいりは欠かさない。お盆やお彼岸には、お墓を掃除してお花を供えて、ご先祖様に手を合わせる。そういう人はたくさんいますよね。
つまり、「お骨」や「亡くなった人」に対する気持ち、祈りや思いは、とても強く残っているということなんです。
■高野山をお手本にした「お骨を納める聖地」
平安時代の終わりごろから、「有名なお寺にお骨を納めたい」という人が増えてきました。
たとえば、高野山(こうやさん)は、今でもたくさんの人が遺骨や遺灰を納めに行く、日本でも有数の霊場です。昔の人は、高野山を「極楽浄土」つまり死後の世界に近い場所だと考えたそうです。
そして、鎌倉時代には「高野聖(こうやひじり)」と呼ばれるお坊さんたちが全国に出かけて、高野山への信仰を広めました。
この影響で、全国各地に「○○高野」や「小高野」などと呼ばれる、小さな高野山のようなお寺ができて、そこにお骨を納める風習も広がっていきました。
■「歯」だけを納める不思議な風習
さて、ここからが本題です。
全国には、亡くなった人の「歯」だけをお寺に納めるという、少し変わった風習があります。
東北地方では特にそのような例が多く見られます。
たとえば――
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青森の恐山(おそれざん)
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山形県庄内地方のモリ供養
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山形県置賜(おきたま)地方のホトケヤマ
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そして、山形の有名なお寺である山寺(やまでら)立石寺(りっしゃくじ)
これらの場所では、「亡くなって1年以内の人の歯」を納めて供養するという風習が今でも残っています。
■山寺立石寺を歩いてみる
特に注目したいのが「山寺」として知られる、立石寺(りっしゃくじ)です。
このお寺は、天台宗(てんだいしゅう)という宗派のお寺で、開いたのは慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)というお坊さんです。あの有名な俳人・松尾芭蕉も訪れた場所として知られています。
山の斜面にたくさんのお堂やお寺が並んでいて、まるで山と一体になったような、神秘的な風景が広がります。
このお寺には「山門(さんもん)」という門があり、それをくぐると石段を登っていく「死の祈り」の世界が始まります。
下の方には、病気平癒(びょうきへいゆ)や幸運祈願など、「生きている人の願いごと」をする場所が多いのですが、登るにつれて、水子供養や「ころり往生(ぽっくりと安らかに死ぬこと)」を願う阿弥陀如来など、死に関わる祈りの場所が増えていきます。
■山の上にある「歯を納める場所」
石段を登りきると、山の上には「奥の院(おくのいん)」というお堂があり、その近くに「骨堂(こつどう)」と呼ばれる建物があります。
そこに、「五輪塔(ごりんとう)」という塔の形をした容器があり、中には実際に歯や骨が納められているのです。
昔は、境内の岩陰などに歯を納めていたそうです。現在は博物館に保管されている例もあります。
また、奥の院には「ムカサリ絵馬」という不思議な絵馬もあります。これは、生前に結婚できなかった人のために、死後に結婚させるという風習で、花嫁人形なども一緒に供えられます。
■モリ供養とホトケヤマでも「歯骨納骨」
山形の庄内地方では、「モリ供養」と呼ばれる山の上の儀式の中で、歯を納めることがあります。
亡くなった人に歯がなかった場合は、入れ歯を納めることもあるそうです。
同じく山形県米沢市のホトケヤマ(大光院)にも、骨堂があり、「歯骨納骨」が行われています。
■共通するのは「慈覚大師のゆかり」
実は、恐山もモリ供養もホトケヤマも、そして山寺立石寺も、すべて「慈覚大師円仁」と深い関係があります。
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恐山は、慈覚大師が開いたとされています。
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モリ供養も、慈覚大師が始めたという伝承があります。
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ホトケヤマは、「出羽の高野」とも呼ばれ、高野山と同じような場所です。
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そして山寺立石寺は、慈覚大師が眠る場所です。
つまり、人々は「ありがたい高僧と同じ場所に、自分の体の一部を納めたい」と思ったのではないでしょうか。
■山の上に納める意味
お寺で行う供養もありますが、やはり「山の上」にある場所にわざわざ登って、祈って、歯を納めるという行為は、「場所」に意味があることを示しています。
険しい山道を登る苦労の中で、人は死を考え、祈り、心を静かに整えていくのです。
■まとめ
今回のお話は、「歯をお寺に納める」という少し変わった風習を通して、日本人がいかに亡くなった人のことを思い、心を込めて供養してきたかということを見てきました。
それは宗教というよりも、もっと身近で、もっと人間的な「祈り」のかたちなのかもしれません。
もしあなたが山寺や恐山を訪れることがあれば、石段の上の静けさの中に、昔の人の祈りの声を感じてみてください。
そして、今もこうして亡き人を思う風習があることを、少しだけ心にとめていただけたら嬉しいです。
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