2025-05-03

彼岸の門をくぐるということ

 

彼岸の門をくぐるということ――存在と象徴のあわいに浮かぶ、位牌という名の「かたち」

死者はどこにいるのでしょうか。あるいは、私たちは死者とどのように共に在るのでしょうか。
この問いは、単なる宗教儀礼の話にとどまるものではございません。それは「存在とは何か」「記憶とは何か」「人間とは何に支えられて生きているのか」という、極めて根源的な哲学的問題へと接続されてまいります。
本稿では、「位牌」という日本の仏教的・民俗的象徴を起点としながら、ハイデッガーの存在論、民俗的他界観、そして記憶と象徴の哲学的分析という三つの視座から、この「死者との共存」の問題を深く掘り下げてまいります。


私たちが「死者を偲ぶ」と言うとき、それは単なる心理的反応や感情の発露ではございません。
たとえば、葬送儀礼における「位牌」の存在は、死者の魂を象徴的に受け止める容れ物としての役割を担っております。これは物理的な「仮の宿」としての意味にとどまらず、象徴という仕組みによって私たち生者と死者との間に、ある種の“対話の回路”を開いているものなのです。

この「対話の回路」とは、民俗的に言えば「彼岸」と「此岸」をつなぐ通路であり、哲学的に申せば、存在のありかを問う一つの実践でもございます。ここに、ハイデッガーの存在論が浮上してまいります。

ハイデッガーは『存在と時間』において、人間を「現存在(Dasein)」と定義しました。それは自己の死を意識する存在、すなわち「死に臨むことを通じて自らのあり方を問い続ける存在」であります。
この「死を先取りする存在としての人間」という構えを私たちが保持し得るのは、まさに死者との共存的空間を象徴的に構築する儀礼と装置があるからではないでしょうか。位牌は、そうした構造の中に置かれているのでございます。

つまり、位牌とは単なる「亡き人の名札」ではなく、死を想起することによって生の輪郭を浮かび上がらせるための哲学的装置であり、死者との関係性を介して私たち自身の存在を再定義するための“媒介物”であります。


さらにこの「象徴的媒介物」としての位牌は、日本の民俗的他界観とも深く結びついております。
民俗学者・折口信夫は、死者が「祖霊」となって家の周辺に留まるという日本の霊魂観を指摘いたしました。その祖霊たちは、一定の年数を経て「神」となり、やがて自然のなかに溶け込む――この他界観の移行過程において、位牌は単なる中継地点ではなく、死者の霊を「社会的な存在」として維持・再構成する“舞台”であるのです。

そこでは死者はもはや「いない」のではなく、「異なる仕方で在る」のです。
この「異なる在り方(Anderssein)」という考え方もまた、ハイデッガーの存在論と相通じるものであります。すなわち、「現存在としての人間は、自己の死を通じて、なお他者との関係性に生き続ける」――これは、死者が社会のなかで“記憶される”という構造を形而上学的に説明するための一つの道筋なのです。

では、その「記憶」は、どのようにして形成され、持続するのでしょうか。


記憶とは、単なる情報の蓄積ではございません。
象徴としての位牌が意味するのは、「記憶が象徴を媒介して社会化される」という営みです。
ここにおいて、モーリス・アルヴァックスが提唱した「集合的記憶(mémoire collective)」の概念を導入すれば、位牌は家族や共同体のなかで死者の人格と関係性を再演する装置であると理解されましょう。つまり、位牌は記憶の「容器」ではなく、記憶の「媒体」であります。

この記憶の媒体が象徴として働くためには、一定の形式――つまり儀礼的手続きを要します。法要、読経、焼香といった行為の積み重ねを通じて、位牌に込められた死者の存在が繰り返し「呼び戻される」。
この繰り返しのなかに、死者は「ただの過去」ではなく「現在性を帯びた記憶」として立ち現れてくるのです。

そしてこの象徴的な構造が崩れたとき、私たちは死者を「本当に失う」ことになる。
だからこそ、位牌を処分する儀礼――たとえば「お焚き上げ」や「魂抜き」――は、単なる物理的処分ではなく、記憶の中での死者の「再配置」であり、象徴世界の再構築の一環でもあるのです。


こうして考えますと、位牌という一見地味な儀礼具が、いかに多層的な哲学的意味を担っているかが浮き彫りになってまいります。
それは、「死者との対話を可能にする象徴的な空間装置」であり、「生者が自らの死を思索するための存在論的なミラー」であり、そして「共同体における記憶の形式化と持続の技法」なのでございます。

そして最後にもう一つ。
このような死者との共在の思想は、私たちが日常の中で無意識に封印している「メメント・モリ(死を想え)」という古い警句の響きを、再び鮮明に蘇らせるのではないでしょうか。

死者は、過去に属する者ではありません。
死者は、現在を照らし、生を意味づける存在です。
そして、位牌という「かたち」は、そのことを静かに、けれど確かに私たちに語りかけているのでございます。


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