2025-08-25

約束と帰郷:ユダヤ人の目線でたどるイスラエル建国への道

 



はじめに

ユダヤ人の目線で見ると、この物語は「約束」と「生存」と「自己決定」のせめぎ合いです。帝国の都合で重ねられた矛盾する約束に翻弄されながらも、人々は共同体を築き、母語をよみがえらせ、故郷を取り戻そうと前進しました。その道のりを年表とともに、誰にでもわかる言葉でたどります。


背景 シオニズムの登場と帰郷の志

  • 19世紀末
    ヨーロッパでの反ユダヤ主義と民族自決の潮流の中、ユダヤ民族がパレスチナに国家を再建する思想が生まれます。テオドール・ヘルツルが思想を体系化し、政治運動としてのシオニズムが動き出します。

  • 1897年 バーゼル会議
    第一回シオニスト会議で「ユダヤ人の公法上保証された故郷」の建設を目標に採択。以後、入植や土地購入、ヘブライ語復興など、具体的な準備が進みます。

  • 1900年代前半 アリヤーの波
    東欧やロシアからの移住の波が続き、農業共同体や都市が育ちます。テルアビブの誕生、学校や医療、労働組合など、自治の基礎が芽吹きます。


第一次世界大戦と三枚舌外交 1915〜1917

イギリスは戦争を有利に進めるため、同じ地域に重なる三つの約束を並行して結びました。ユダヤ人から見れば、希望の扉を開く宣言と、その足元を揺らす矛盾が同時に生まれた瞬間です。

  • フサイン=マクマホン書簡 1915〜1916
    英国がアラブ側にオスマン帝国への反乱を促し、戦後のアラブ独立を広く示唆。パレスチナの扱いは曖昧で、後に解釈をめぐる対立の火種となります。

  • サイクス=ピコ協定 1916
    英仏露の秘密協定で、戦後の中東分割方針を内々に取り決め。現地の民族自決より列強の利害が優先され、地域の信頼を大きく傷つけます。

  • バルフォア宣言 1917
    英国が「パレスチナにユダヤ民族の国家的郷土の樹立」を支持しつつ、「現住非ユダヤ人の市民的宗教的権利を害さない」と付記。ユダヤ人にとって歴史的承認であり、同時に将来の共存条件を示した文言でした。


英国委任統治下のパレスチナ 1920〜1939

  • 1920年 サンレモ決定
    国際社会が英の委任統治を承認。バルフォア宣言は委任統治の目的に組み込まれ、ユダヤ人の郷土建設が国際的に位置づけられます。

  • 1920年代 ユィシューヴの成長
    移民と投資で農業と都市が拡大。ヘブライ大学の設立、ハガナーなど自衛組織、ヒスタドルトなど労働組織、ユダヤ機関など政治代表が整います。言語・教育・経済の統合が進み、国家の骨格が形づくられます。

  • 度重なる衝突 1920年代〜1930年代
    1920年と1921年の暴動、1929年のヘブロン虐殺など、コミュニティ間の暴力が深刻化。ユダヤ人にとっては自衛の必要性と、法的権利に基づく建設の正当性を再確認する局面でした。

  • 政策の揺り戻し

    • 1930年 白書: 土地購入や移民を抑制する方向性を示唆。
    • 1936〜1939年 アラブ大反乱: ゼネストと武装闘争で情勢が悪化。
    • 1937年 ピール委員会: 初の国土分割案を提示。ユダヤ側は交渉余地を見出すが、アラブ側は拒否。
    • 1939年 白書: ユダヤ移民の大幅制限と将来の二民族国家を示唆。ホロコースト前夜に門戸が狭められ、ユダヤ人には痛恨の一撃となります。

ホロコーストと戦後の岐路 1939〜1947

  • ナチズムの迫害と大量殺害
    欧州のユダヤ人三分の二が殺害され、共同体は壊滅的打撃を受けます。パレスチナへの避難路は閉ざされがちで、亡命船の追い返しなど、救える命が救えなかった記憶が焼き付きます。

  • 戦後の道徳的転換
    世界は虐殺の実態に直面し、ユダヤ人の自決と安全な避難地の必要性が強く意識されます。英国は統治の限界に直面し、問題を国際連合に付託します。

  • 地下活動と緊張の高まり
    ユダヤ共同体の主流は国家建設を国際合意で進めようとしつつ、一部地下組織は英国当局への武装抵抗を展開。欧州からの生存者の移住をめぐる人道的圧力が日々増していきます。


国連分割決議からイスラエル建国へ 1947〜1949

  • 1947年 国連特別委員会の勧告
    二国家分割とエルサレム国際管理の案が提示され、ユダヤ側は妥協として受け入れる方針に傾きます。悲願の国家承認への道が、国際法の枠内で見え始めます。

  • 1947年11月29日 国連決議181
    分割案が採択。ユダヤ側は受諾、アラブ国家とパレスチナ・アラブ指導部は拒否。直後から内戦状態となり、双方に犠牲が拡大します。

  • 1948年5月14日 独立宣言
    英国の委任終了に合わせ、ダビド・ベン=グリオンがイスラエル独立を宣言。亡国から二千年ぶりの主権回復という歴史的瞬間であり、同時に全面戦争の幕開けでもありました。

  • 第一次中東戦争 1948〜1949年
    隣接アラブ諸国が侵攻し、イスラエルは存亡の戦いに勝ち残ります。停戦協定により国境線が画定し、ユダヤ国家は国際社会に事実上認知されます。一方で多くのパレスチナ人が故郷を離れ、難民問題が固定化。ユダヤ人にとっては生存と帰郷の達成、同時に深い葛藤と未解決課題の始まりでもありました。


ユダヤ人の目線で見た核心

  • 約束の二重性
    バルフォアは「存在と安全」の承認でしたが、他の約束との矛盾が恒久的な緊張を生みました。希望と疑念が同居する土台からの国家建設でした。

  • 共同体の底力
    学校、農場、言語、自治、互助。国家がなくても国家の骨格を先に作る発想が、独立時の即応力を生みました。

  • 時間との戦い
    ホロコーストで「いつか」ではなく「今」の避難地が必要になり、分割受諾という痛みを伴う妥協を選ばざるを得ませんでした。

  • 独立の意味
    国旗や軍だけでなく、「二度と無力ではいない」という誓い。同時に、隣人との和解なしに真の安定は来ないという自覚も、建国と同時に始まっています。


簡易年表

  • 1897年 バーゼルで第一回シオニスト会議
  • 1915〜1917年 三枚舌外交の三約束
  • 1920年 英国の委任統治開始
  • 1936〜1939年 アラブ大反乱と白書
  • 1947年 国連分割決議181採択
  • 1948年 イスラエル独立と第一次中東戦争
  • 1949年 休戦協定締結


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