2025-04-24

火葬に「楽しさ」を見いだすということ —— 死を明るく語る試みと、その深層

火葬に「楽しさ」を見いだすということ —— 死を明るく語る試みと、その深層


ある日、ネットの片隅で「楽しい火葬会」という名前の投稿を目にした。
目を疑った。正直に言って、初見では一種の不謹慎さすら感じた。

「火葬」が「楽しい」——その語感の組み合わせが、あまりに異質だったからだ。
けれど、その投稿を読み進めていくうちに、私は気づきはじめた。
これは、ただの言葉遊びではない。
死を語るという最も難しいテーマに、正面から向き合おうとする誠実な営みではないかと。


死はどこへ行ったのか?

わたしたちはいつから、死について語ることをやめたのだろう。

昔の日本では、家の中で人が亡くなり、家族や近隣の人々が集まって看取り、土に還していた。
けれど今、死は病院や施設で起こり、プロの手に委ねられ、火葬場という遠く隔てられた空間で処理されていく。

死が見えなくなった社会では、「死」という言葉すら慎重に取り扱われるようになる。
SNSの世界では忌避され、テレビでも曖昧に包まれ、わたしたちの会話の中からはいつしか消えていく。

けれど死は、どんな社会にも等しく存在している。

それは、あまりに当たり前すぎるがゆえに、見て見ぬふりをされているだけだ。
そして、「楽しい火葬会」は、そんな見えなくなった死を、もう一度日常のまなざしに取り戻そうとする試みなのではないだろうか。


火葬という選択の裏にある「合理」と「文化」

火葬率99.96%。
これは2023年、日本で実際に火葬された割合だ。ほぼすべての人が、土葬ではなく火葬で見送られている。

この高い火葬率の背景には、もちろん現実的な理由がある。

日本の国土の約7割が山林。人口は1億2千万人を超える密集社会。
さらに地震・台風・津波という自然災害のリスクも常に付きまとう。
土葬を維持することは、空間的にも衛生的にも難しい。

こうした現実に応答するかたちで、日本は火葬というかたちを制度化してきた。

だがそれは同時に、「どう送るか」「どう記憶するか」という文化的選択でもある
ただ燃やせば終わり、ではない。
火の中で何が失われ、そして何が残されるのか——その問いに、私たちはまだ十分に向き合えていないのかもしれない。


「楽しい火葬」という言葉に込められた逆説

ここであらためて、「楽しい火葬」という語に戻ってみよう。

「楽しい」は、明るく、前向きで、軽やかだ。
「火葬」は、重く、厳かで、時に陰鬱だ。
この二つの言葉が並ぶとき、そこにはどうしても違和感が生まれる。

だが、その違和感こそが、実は深い問いの入り口なのではないか。

「死を語ることは、いつからタブーになったのか?」
「火葬とは、本当にただの処理行為なのか?」
「故人との別れを、もっと温かく・個人的にできる方法はないのか?」

「楽しい」という逆説的な表現は、私たちの思考を強制的に立ち止まらせる。
それは、死を前にした人間の思考停止に、そっと火を灯す行為でもあるのだ。


火葬は「死の終点」か、「生の問いかけ」か

燃やされた後に残るのは、灰。

それはあまりに無機質で、見る者によっては「空虚」にすら映るかもしれない。
けれどその灰には、確かにその人が在ったという時間の記憶が宿っている。

わたしたちは火葬を通して、目に見える肉体の終焉を受け入れながら、
目に見えない「何か」を、残そうとする。

たとえば、骨壺に手を添える手。
たとえば、煙となって空へ昇るあの白い筋を見つめる目。
たとえば、「ありがとう」と口にした誰かの声。

そうした瞬間こそが、死と共に生きる文化の核心なのではないだろうか。

火葬とは、ただの終わりではない。
むしろそれは、「生とは何か」を深く見つめなおすための時間なのだ。


そして、死を語る共同体へ

「楽しい火葬会」は、日本各地の火葬方法を集め、情報をシェアし、意見を募っているという。
それは単なる啓発活動ではない。
死について語り合うための、やさしい場所を作ろうとしているのだ。

他人の死を通じて、自分の生き方を考える。
ペットの火葬について語りながら、「家族とは何か」に向き合う。
地方の習俗に触れながら、「どう死ぬか」が「どう生きるか」と不可分であることを知る。

それは、死を日常の言葉で取り戻していく、静かな革命だ。


終わりに:死が風景に還る日

火葬を語ることは、死を語ること。
死を語ることは、実は生を深く問い直すことだ。

「楽しい火葬会」という逆説の言葉が誘うもの。
それは、死を忌避するのではなく、死を通じて生を再構成すること。
つまり——
生と死の境界に、もう一度やさしい灯りを灯すことなのだ。

遠い誰かが、今日も誰かを火の中に見送っている。
その火は、ただ燃えているのではない。
その火は、語られなかった物語を照らしているのかもしれない。


【埋葬法の法律改正!火葬のみとすることを求めます 】

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