2025-09-02

テルアビブ空港乱射事件:世界を震撼させた「赤い亡霊」




テルアビブ空港乱射事件:世界を震撼させた「赤い亡霊」

1972年5月30日、イスラエルのロッド空港(現在のベン・グリオン国際空港)で、突如として銃声が鳴り響いた。犯人はなんと日本人3名。彼らは自動小銃を手に、無差別に空港利用者を襲撃し、26人が死亡、73人が負傷するという惨劇を引き起こした。この事件は「テルアビブ空港乱射事件」または「ロッド空港事件」と呼ばれ、世界中に衝撃を与えた。

日本赤軍とは何者か?

この事件の実行犯は、日本赤軍という組織に属していた。日本赤軍は1971年に重信房子奥平剛士によって結成された、日本の新左翼系の国際武装ゲリラ組織だよ。彼らは「世界革命」を掲げ、共産主義思想に基づいて武力闘争を展開。日本国内だけでなく、中東やヨーロッパなど世界各地でテロ事件を起こしたことで知られている。

日本赤軍は、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と連携し、レバノンのベッカー高原を拠点に活動していた。彼らは「国際根拠地論」に基づき、世界各地に革命の火種を撒こうとしていたんだ。

なぜイスラエルで事件が起きたのか?

この事件は、日本赤軍単独の作戦ではなく、PFLPが主導した作戦に日本人が義勇兵として参加したものだった。イスラエルは当時、パレスチナ問題をめぐって中東諸国との緊張が高まっており、PFLPはイスラエルに対する攻撃を国際的に拡大しようとしていた。

そこで目をつけたのが、日本の過激派。日本赤軍のメンバーは、「自分たちの命を犠牲にしてでも革命を起こす」という思想に共鳴し、PFLPの作戦に加わった。彼らは日本人であることを利用し、イスラエルの空港警備の盲点を突いた。日本人観光客として入国し、スーツケースに隠した武器で襲撃を開始したのだ。

実行犯たちの運命

事件を起こしたのは、岡本公三、奥平剛士、安田安之の3人。奥平と安田は現場で死亡(自殺説と射殺説がある)、岡本は逮捕され、イスラエルで裁判にかけられた。彼は終身刑を言い渡されたが、後に捕虜交換によって釈放され、再び日本赤軍に合流したとされている。

事件の影響

この事件は、イスラエルだけでなく世界中に衝撃を与えた。日本では「なぜ日本人がこんな事件を起こしたのか?」という疑問が広がり、学生運動や新左翼運動への批判が強まった。イスラエルでは、空港の警備体制が大幅に強化され、以後のテロ対策の転機となった。

また、パレスチナ側から見ると、日本人が自らの命を賭してイスラエルに攻撃を仕掛けたことは、「国際的連帯」の象徴として受け止められた。この事件は、後の自爆テロの思想にも影響を与えたとする見方もある。


この事件は、単なるテロではなく、思想と国際政治が交錯した歴史の断面なんだ。水面下でうごめく革命の波が、遠く離れた日本から中東へと届いた瞬間だったとも言えるね。


0 件のコメント:

コメントを投稿