【世界史が面白くなる話】英雄?独裁者?🇨🇳 現代中国を作った男・毛沢東の壮絶すぎる人生
やっほー!みんな、元気?😊
突然だけど、みんなのお隣の国、中国🇨🇳ってどんなイメージ?
「人口がめっちゃ多い!」「経済がスゴい!」「パンダ🐼可愛い!」
色々あるよね!
でも、「なんで今の中国って、あんなに巨大でパワフルな国になったの?」って聞かれたら、答えられる人、意外と少ないんじゃないかな?🤔
その答え…実は、たった一人の男の人生に隠されているんです!
その男の名は…毛沢東(もうたくとう)。
この人、マジでヤバい。
国を救ったスーパーヒーロー🦸♂️でありながら、
歴史上トップクラスの犠牲者を出した悪魔👿とも言われる…。
「え、なにそれ、意味わかんない…😱」
って思ったキミ、大正解!👍
今日は、そんな毛沢東の「光💡」と「影😈」に満ちた壮絶すぎる人生を、世界一分かりやすく解説しちゃうよ!この記事を読めば、現代中国が100倍面白く見えること間違いなし!✨
それでは、いってみよー!🚀
🔥反骨BOY、誕生!時代がヤバすぎて革命家に…⁉️
毛沢東が生まれたのは1893年。
この頃の中国(当時は「清」っていう国)は、マジでどん底状態でした…😭
イギリス🇬🇧とかの欧米列強にボコボコにされる(アヘン戦争とか)
お隣の日本🇯🇵にも戦争で負けちゃう(日清戦争)
国内はバラバラで、役人の腐敗もヤバい…💸
国民は貧しくて、「この国、もうオワコンじゃね…?」みたいな空気が漂ってたんだ。
そんな時代に、比較的裕福な農家の息子として生まれたのが毛沢東少年👨🌾
でも、彼は超〜〜反抗的!🔥 厳しいお父さんに反発して家出しちゃうような、まさに反骨BOYでした。
そんな中、歴史が大きく動く!
1911年:辛亥革命で、数千年続いた皇帝の時代がジ・エンド!🎉
1912年:「中華民国」っていう新しい国が誕生!✨
「よっしゃー!これで中国も生まれ変わるぞー!」ってみんな思ったんだけど…現実は甘くなかったんだなこれが…😅
国は全然まとまらず、「軍閥」っていう地方のボスたちが好き勝手に争い合う戦国時代みたいな状態に逆戻りしちゃったんだ。💥
「政治だけ変えてもダメだ!意識から変えなきゃ!」
そんな新しい思想の波の中で、若き毛沢東は「マルクス主義」っていう思想に出会う。
そして1921年、彼は「中国共産党」の創立メンバーの一人になるんだ!🤓📖
😲常識を疑え!毛沢東の逆転の発想がスゴい🧠✨
当時の共産党の仲間たちは、お手本だったソ連🇷🇺みたいに、
「革命を起こす主役は、都会の工場で働く労働者だ!💪」
って信じてた。
でも、毛沢東は「いや、待てよ…🤔」って思ったんだ。
「中国の人口のほとんど(8割以上!)は、都会じゃなくて田舎の農民じゃないか?👨🌾👩🌾」
「だったら、革命の主役は農民たちしかいないっしょ!」
これ、マジで常識を覆す逆転の発想だったんだよ!🤯
彼は実際に農村を歩き回って、
「地主は敵!貧しい農民は味方!」みたいな単純な話じゃないことを見抜いてた。
「農民たちのリアルな気持ちを理解して、彼らを味方につけよう!」と考えたんだ。
そして、毛沢-東はとんでもない戦略を思いつく。
【毛沢東のヤバい戦略】
農村を味方につけて革命の基地(根拠地)にする → その力で都会を包囲する!
この田舎から都会を攻めるっていう奇想天外な作戦が、のちのち炸裂することになるんだ…!💣
🇨🇳vs🇯🇵vs仲間⁉️ 終わらない戦いのサバイバルゲーム💥
さあ、ここからが超複雑な戦いの時代の幕開けだよ!🔥
まず、中国国内には大きな勢力が2つあったんだ。
国民党🔵:当時の政府。リーダーは蔣介石(しょうかいせき)。
共産党🔴:毛沢東たちのグループ。
最初は「軍閥を倒す」っていう共通の敵がいたから、一応協力してたんだけど(第一次国共合作)、国民党の蔣介石が「共産党、うぜぇ!邪魔!」ってなって、いきなり共産党を裏切って攻撃開始!😱
ここから、血で血を洗う国内での殺し合い(国共内戦)がスタートしちゃったんだ…😭
そんな中、中国の外からも大きな動きが!
1931年:満州事変が起きる
1932年:「満州国」が建国される
これ、当時の日本🇯🇵の立場からすると、超〜〜重要な意味があったんだ。
一番の心配事は、北から迫ってくる巨大なソヴィエト連邦(ソ連)🇷🇺。
共産主義のソ連が南に勢力を伸ばしてくるのは、日本にとってマジで最大の脅威だったんだよね💦
だから、資源も豊かな満州に、日本と仲の良い安定した国(満州国)を作ることで、
「ソ連が南に来るのを防ぐためのカベ🛡️(防共の防波堤)」
にしたかった、っていう戦略的な狙いがあったんだ。
でも、蔣介石は「日本のことより、まず国内の共産党をぶっ潰す!🔥」って言って、毛沢東たちを殺しにかかる。
絶体絶命の共産党は、生き残るために「長征(ちょうせい)」っていう、マジでありえないレベルの死の逃避行に出るんだ…!😭
期間:約1年
距離:約1万2500km(地球1/4周以上⁉️)
生存率:10%以下…😱
でも、この地獄のサバイバルの中で、毛沢東はそのスゴいリーダーシップでみんなをまとめ上げ、共産党の絶対的リーダーになったんだ!🦸♂️
そして、日本の勢力がどんどん大きくなってくると、
「いや、仲間割れしてる場合じゃなくね?💦 まずは日本と戦おうぜ!」
っていう空気が中国国内で高まってくる。
1937年:盧溝橋事件をきっかけに「支那事変」がスタート
これを機に、昨日までの敵だった国民党🔵と共産党🔴が、またまた協力することに!(第二次国共合作)
呉越同舟ってやつだね!🤝
こうして、中国は一つになって日本と戦うことになったんだ。
戦いが終わったのは1945年。
でも、平和は訪れなかった…
共通の敵がいなくなったら、また国民党vs共産党の内戦が再開!💥
お金も武器も持ってた国民党が有利に見えたけど、腐敗してて国民の信頼を失ってたんだよね💸
一方、毛沢東の共産党は「農民に土地をあげる!」っていう約束で、国民の心をガッチリ掴んでた❤️
人心を得た者が、最後は勝つ!
1949年、ついに毛沢東が勝利し、中国大陸の新しい支配者になったんだ!🎉
理想の国づくりのはずが…😱史上最悪の悪夢へ(前編)
1949年10月1日、毛沢東は天安門の上から高らかに宣言する。
「中華人民共和国が、今日ここに誕生したぞー!🇨🇳✨」
長年の屈辱と戦争の時代が終わり、多くの中国国民が涙を流して喜んだんだ😭
でも、ここから毛沢東は少しずつ変わっていく…。
国を運営する中で、頼りにしてたソ連🇷🇺とも「やり方が違う!」って大ゲンカ。
「もうソ連のマネは辞めだ!俺たちのやり方で、一気にアメリカ🇺🇸やイギリス🇬🇧を追い越すぞ!」
かつて戦争に勝った時の「気合と根性で何とかなる!🔥」っていう成功体験を、今度は国づくりに応用しようとしたんだ。
そして1958年、彼はとんでもない政策をスタートさせる。
その名も…「大躍進」。
これが、文字通り地獄の始まりだったんだ…。
農業:非科学的な目標を立てさせ、農民から農具ややる気を奪う→食料生産が壊滅😱
工業:全国民に「鉄を作れ!」と命令。家の鍋やフライパンまで溶かして鉄を作らせる→出来たのはゴミみたいな鉄くずだけ…🗑️
その結果、何が起きたか?
人類史上最悪レベルの大飢饉だよ…。
最近の研究だと、この政策のせいで餓え死にした人の数は、なんと…
3000万~4500万人とも言われているんだ。
(日本の人口の1/3くらいが一気に消えたって考えるとヤバさがわかるよね…)
この歴史的大失敗で、さすがの毛沢東もトップの座を一旦降りることに。
後を継いだ劉少奇(りゅうしょうき)や鄧小平(とうしょうへい)っていう現実的なリーダーたちが、何とか経済を立て直していったんだ。
でも、権力の中心から外された毛沢東は、静かに復讐の炎を燃やしていた…🔥🔥
「あいつら、俺の革命を裏切りやがって…絶対に許さん…!」
そして、この復讐心が、もっと恐ろしい悲劇の引き金を引くことになるんだ。
🚨暴走開始!地獄の10年間『文化大革命』とは?(後編)
さあ、いよいよ中国現代史で最も暗くてヤバい時代、「文化大革命」に突入するよ。
心して読んでね…!
1. 毛沢東の復讐劇、開幕!
1966年、権力の座に返り咲きたい毛沢東は、とんでもない作戦を実行する。
それは、「若者たちを操って、国全体をひっくり返す」っていう前代未聞の計画だったんだ!🤯
彼は、自分のことを神様✨のように崇拝する純粋な若者たちに向かって、こう叫んだ。
「革命はまだ終わってない!党の中にいる偉いヤツら(=劉少奇たち)が、資本主義で国を腐らせようとしてるぞ!反乱を起こして、そいつらを引きずり下ろせ!🔥」
この「造反有理(反乱こそ正義!)」っていうヤバいスローガンに、若者たちは大熱狂!
彼らは「紅衛兵(こうえいへい)」と名乗り、毛沢東の言葉が書かれた『毛主席語録』(赤い手帳)を片手に、暴走を始めるんだ…!
2. 国中が魔女狩り会場に…
紅衛兵の若者たちがやったことは、まさに狂気の沙汰だった。
古いモノ、ぜんぶ破壊!💥(破四旧)
お寺、歴史的な書物、美術品…全部「古いからダメ!」って言って燃やしたり壊したりした。文化のスーパー大破壊だよ…😭
先生や知識人を吊し上げ!👩🏫👨🎓
学校では生徒が先生を「反革命分子だ!」って言って殴る蹴るの暴行。三角帽を被せられて、街中を引きずり回されるなんて日常茶飯事だったんだ…。
密告と裏切りの嵐!😱
「あいつ、毛沢東様の悪口言ってたぞ!」みたいに、隣人が隣人を、子供が親を密告する社会に…。もう誰も信じられない、恐怖の時代だよ。
この巨大な魔女狩りの一番のターゲットは、やっぱり毛沢東のライバル、国家主席の劉少奇だった。彼は全ての地位を奪われて、最後は孤独の中で悲惨な死を遂げたんだ…。
3. 誰も止められない大混乱🌀
でも、この運動は毛沢東の想像を超えて、どんどんエスカレートしていく。
紅衛兵同士で「俺たちの方が正しい!」って派閥争いを始めて、武器を持って殺し合いするまでになっちゃったんだ。国中が内戦状態だよ…。
さすがに「これ、ヤバくね?😅」ってなった毛沢東は、暴走した若者たちを今度は強制的に田舎の農村に送り込んだ(下放)。
「農民から学んでこい!」って言われたけど、要は厄介払いだよね…。
このせいで、たくさんの若者が青春も教育も奪われて、彼らは「失われた世代」と呼ばれるようになったんだ。
この「文化大革命」っていう名前の地獄の10年間で、中国の経済はボロボロ、文化は破壊され、数百万とも言われる人々が命を落とした。
人々の心に残った傷は、今でも完全には癒えていないんだ…。
🤯まさかの敵と握手⁉️ 巨星、墜つ🌠
国内がそんな大混乱の真っ只中、国際情勢は大きく動いていた。
あれだけ仲が悪かったアメリカ🇺🇸と、いきなり和解したんだ!
1972年:アメリカのニクソン大統領が中国を訪問!🤝
「え、なんで⁉️」って思うよね。
実はこの頃、中国はソ連🇷🇺とめちゃくちゃ仲が悪くなってて、「ソ連、マジこえー…」ってなってた。
アメリカもベトナム戦争で大変だったから、「ソ連を牽制するために中国と手を組むか!」って考えたんだ。
つまり、敵の敵は味方作戦ってワケ!😉
この米中和解のニュースを見て、日本🇯🇵も「今がチャンス!」って動く。
同じ1972年、田中角栄首相が中国を訪問して、日中国交正常化が実現!🎉
ここから、今の日本と中国の深いつながりが始まっていくんだ。
そして、1976年9月9日。
中国を、そして世界を揺るがし続けた巨人、毛沢東が82年の生涯を閉じた。
彼の死とともに、あの悪夢の「文化大革命」も、ようやく終わりを告げたんだ…。
🤔で、毛沢東って結局何者だったの?【まとめ】
毛沢東が死んだ後、中国のリーダーになったのは、なんと文化大革命で2回もクビにされた、あの鄧小平だった!
彼は「ごちゃごちゃ理想を言うより、まず国民の腹を満たすのが大事だろ!」っていう超現実的な人で、「改革開放」っていう政策をスタートさせる。
これが大当たり!🎯
中国は「世界の工場」として、ロケットみたいに経済成長🚀を遂げて、今の経済大国になったんだ。
さて、ここまで毛沢東の人生を見てきたけど、彼は一体何者だったんだろう?
【毛沢東の光💡(ヒーローな側面)】
✅バラバラだった中国を一つにまとめた!
✅長い屈辱の歴史を終わらせ、中国人に誇りを取り戻させた!
✅強い「国」の土台を作った!
【毛沢東の影😈(悪魔な側面)】
✅「大躍進」で数千万人を餓え死にさせた…。
✅「文化大革命」で国を破壊し、多くの人を不幸にした…。
✅自分の権力のために、たくさんの人を犠牲にした…。
そう、彼は「偉大な建国の父」であり、同時に「最悪の独裁者」でもあったんだ。
この巨大すぎる光と影を併せ持つのが、毛沢-東という人間なんだよね。
彼の人生は、「どんなに素晴らしい理想も、現実を無視して暴走すると、とんでもない悲劇を生む」っていう、強烈な教訓を私たちに教えてくれる。
どうだったかな?
毛沢東の壮絶な人生を知ると、今の中国ニュースも、全然違って見えてこない?😉
これが、世界史の面白さなんだ!
長くなったけど、最後まで読んでくれてありがとう!💖
また次の記事で会おうね!👋✨
0 件のコメント:
コメントを投稿