2025-11-27

パリは「パリピ」状態!?恐怖政治の反動

 AIが「ナポレオンは東洋政府を立てた」なんて言ったら、あなたはどう思いますか?🤔

「え、ナポレオンってアジアに進出してたの?!」
…いえいえ、実はこれ、ある「歴史的な聞き間違い」から始まる、フランス革命最後の、そして最も濃厚な4年間の物語なんです。

今日は、教科書だと「ロベスピエールが死にました」→(数行)→「ナポレオンが皇帝になりました」で飛ばされがちな「空白の4年間(総裁政府期)」を、最新の研究視点とエンタメ全開で解説します!🎬

世界史なんて全然興味ないよ〜って人も、最後には「ナポレオン、やり手すぎ…!」ってなること間違いなし。しかも、難関大入試に出るレベルの知識も勝手に身につくよう設計しました。

それでは、パリの街角へタイムスリップ!🇫🇷✨


📝【AI誤植の謎】「東洋政府」って何?



まず、冒頭のネタバレから。
ある講義の文字起こしデータに、こんな一文がありました。

誤: ナポレオンはクーデタの後、東洋政府 (Toyo government) を樹立した。

アメリカ軍を倒しそうな名前ですが、もちろん間違い。正しくは…

正: 統領政府 (Toryo government / Consulate)

です!

日本語の「統領(とうりょう)」
これは古代ローマの「執政官(コンスル)」を翻訳した言葉。ナポレオンは自分を古代ローマの英雄になぞらえて、この名前を復活させたんです🏛️。

でも、この「統領政府」ができるまでの道のりは、まさに「裏切り」「メディア操作」「演出」の連続でした。


💃 1. パリは「パリピ」状態!?恐怖政治の反動

時計の針を少し戻して、1794年7月。
「テルミドールの反動」で、ギロチンで処刑しまくっていたロベスピエールが倒されました🩸。

みんな何を感じたか?
「やっと死ななくて済む!!」という安堵です。

その反動で、パリはものすごい「解放感」に包まれました。
真面目で禁欲的な「革命」はもううんざり。これからはリッチに、自由に生きようぜ!という空気が爆発します🎉。

👗 奇抜なファッションの若者たち

ここで現れたのが、当時の最先端ファッションに身を包んだ若者たち。

  • アンクロワイヤブル(信じられない男たち)🕺

    • 巨大な襟、短いベスト、ボサボサ頭。

    • 手には「ジャコバン派(過激派)を殴るための棍棒」

    • 「革命 (Révolution)」の「R」の発音をわざと抜いて喋る(「Incroyable」を「Incoyable」と言うなど)。徹底的に革命をバカにしました。

  • メルヴェイユーズ(素晴らしい女たち)💃

    • 古代ギリシャ風の透け透けドレス(冬でも!)。

    • コルセットなし。カトリックの道徳なんて知ったことか!という挑発的なスタイル。

💀 最もクレイジーな「犠牲者の舞踏会」

極め付けは「犠牲者の舞踏会(Bal des victimes)」
参加資格はなんと
「親族がギロチンで処刑された人限定」😱。
首に「切断された首」を象徴する
赤いリボンを巻いて、死の恐怖を笑い飛ばすように朝まで踊り明かしたんです。

この「退廃」と「エネルギー」が入り混じったカオスな時代、それが1795年からのスタートラインでした。


⚖️ 2. 「総裁政府」の誕生と欠陥だらけのシステム

さて、遊びほうけてばかりはいられません。政治をどうにかしないと。
そこで1795年、新しい憲法「1795年憲法(共和暦3年憲法)」が作られました📜。

スローガンは「革命を終わらせる」
もう極端な平等とかいらないから、「お金持ち(ブルジョワ)」が安心して暮らせる国にしよう、というわけです。

💡 入試に出る!「総裁政府」の仕組み

この時できた政府を「総裁政府(Directoire)」と言います。独裁者が出ないように、権力を分けまくりました。

  1. 選挙権はお金持ちだけ💰:貧乏人(サン・キュロット)は政治から排除。

  2. 議会は二院制🏛️

    • 五百人会議(若手):法案を「考える」だけ。決定権なし。(想像力担当)

    • 元老会議(ベテラン):法案を「YES/NO」するだけ。修正不可。(理性担当)

  3. リーダーは5人🖐️:1人だと独裁するから5人の「総裁」による合議制。毎年1人ずつ交代。

結果どうなったか?
「決められない」「リーダーシップがない」「弱い」。
あっちを立てればこっちが立たず。これを「バスクル(シーソー)政策」と呼びます。

  • 右派(王党派)が強くなったら軍隊で弾圧💥

  • 左派(ジャコバン派)が強くなったら選挙無効💥

憲法を守るべき政府が、選挙結果を毎回クーデタでひっくり返す。これじゃあ国民の信頼なんてゼロですよね📉。


🔥 3. 早すぎた共産主義者、バブーフ

格差が広がり、インフレでパンも買えない庶民の怒りが爆発寸前🍞。
そこに現れたのが、謎の男バブーフです。

彼は言いました。

「土地は誰のものでもない。果実はみんなのものだ!」

これは世界初の「共産主義」的革命運動と言われています。
彼は「平等の陰謀」という秘密結社を作り、エリートによる革命を計画しましたが、警察のスパイにあっさりバレて処刑されました⚰️。

彼の思想は失敗しましたが、後のロシア革命などに大きな影響を与えることになります📕。


🐎 4. 英雄ナポレオンと「メディア戦略」

パリの政治家たちがグダグダしている間に、戦場でスターになったのがナポレオン・ボナパルトです。

最近の研究で面白いのは、彼がただ喧嘩が強いだけじゃなく、「メディア戦略の天才」だったという点📱(当時は新聞ですが)。

📰 「自作自演」のプロパガンダ

彼はイタリア遠征中、自分で新聞を発行し、パリに送っていました。
「ナポレオンは天才!」「兵士の父!」「慈悲深い!」
…と、自分で自分を褒め称える記事を書きまくり、パリ市民に「ナポレオン待望論」を植え付けたのです。

🐫 エジプト遠征の「すり替え」マジック

1798年、ナポレオンはイギリスを困らせるためにエジプト遠征へ行きます🇪🇬。

実はこれ、軍事的には大失敗でした。
ネルソン提督率いるイギリス海軍に船を沈められ、帰れなくなっちゃったんです🚢💥。

でも彼は転んでもただでは起きない。
学者たちを連れて行ったことで、あの「ロゼッタ・ストーン」を発見!🪨
「軍事的な敗北」を「学術的な大勝利」「文明の探求」というストーリーにすり替えました。

さらに、現地の戦いで勝ったニュースだけをパリに送り、負けた話は隠蔽。
「敵前逃亡」同然でこっそりフランスに帰ってきたのに、パリに着いた頃には「国を救うために帰ってきた英雄」として熱狂的に迎えられたのです👏。

これぞ情報操作の勝利!


🗡️ 5. クライマックス:ブリュメール18日のクーデタ

1799年、フランスはピンチでした。
周辺諸国(第2回対仏大同盟)に攻められ、国内はボロボロ。

ここで、総裁の一人シェイエス(『第三身分とは何か』の著者)が考えました。
「今の憲法じゃダメだ。クーデタで強い政府を作ろう。そのために『言うことを聞く都合のいい軍人(剣)』が必要だ」

そこで選ばれたのがナポレオンです。
しかし、これは「老獪な政治家 vs 野心家の若造」の化かし合いでした🦊🦁。

📅 運命の日:1799年11月9日(ブリュメール18日)

  1. 1日目: 順調にスタート。政府を停止させる。

  2. 2日目(大ピンチ!): 議員たちがクーデタに気づいて激怒!😡

ナポレオンが議会に乗り込むと、議員たちは「独裁者を倒せ!」「法の外へ!(逮捕しろ)」と罵声を浴びせ、ナポレオンに殴りかかりました。
なんとナポレオン、ここで
ビビって顔面蒼白、気絶寸前(あるいは気絶したフリ?)で退出します😵。意外と打たれ弱い!

🎭 弟リュシアンの「名演技」

ここで歴史を変えたのが、ナポレオンの弟で、議会の議長をしていたリュシアンです。

彼は外にいる兵士たちに向かって、剣を抜き、兄ナポレオンの胸に突きつけて叫びました。

「もし兄がフランスの自由に反することをすれば、私がこの剣で兄を突き刺す! だから兵士諸君、議場にいる『短剣を持った狂った暗殺者たち』を追い払ってくれ!」

もちろん、議員たちは暗殺者じゃないし短剣も持っていません(捏造プロパガンダ!)。
でもこの芝居に騙された兵士たちは議場に突入。議員たちは窓からクモの子を散らすように逃げ出しました🕷️💨。

こうして、クーデタは成功したのです。


🏁 6. 結論:「統領政府」の樹立と革命の終わり

クーデタの後、シェイエスは自分が実権を握るつもりでしたが、ナポレオンはそれを許しませんでした。
あっという間に新しい憲法(共和暦8年憲法)を作り、第一統領(Premier Consul)に独裁的な権限を集中させます。

AIが「東洋政府」と間違えた「統領政府」の誕生です🎉。

ナポレオンは高らかに宣言しました。

「市民諸君、革命は、それが始まった原則の上に固定された。革命は終わった」


🎓 今日のまとめ(ここテストに出ます!)

長旅お疲れ様でした!この4年間のポイントをまとめます。

  1. テルミドール後:パリは反動で「パリピ化」(アンクロワイヤブルなど)。

  2. 総裁政府 (1795-1799):お金持ち中心(制限選挙)。権力分散しすぎて弱体化。クーデタ繰り返し(バスクル政策)。

  3. バブーフの陰謀:私有財産否定、共産主義の先駆け。

  4. ナポレオンの台頭:メディアを使いこなし、エジプトでの敗北すら英雄譚に変えた。

  5. ブリュメール18日のクーデタシェイエスと組んで総裁政府を打倒。弟リュシアンの機転で成功。

  6. 統領政府の樹立:ナポレオン独裁の始まり。これを「東洋政府」と書くとAIに間違われるので注意!

この「空白の4年間」は、民主主義の失敗、メディアの力、そしてカリスマ独裁者が生まれるプロセスが詰まった、現代にも通じる「歴史の実験場」だったんですね🌍。

次に「Toyo government」という文字を見たら、ニヤリと笑って「いやいや、統領政府だから!」とツッコミを入れてくださいね!😉👋



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