2025-04-19

火のまわりで、誰も泣かない


火のまわりで、誰も泣かない

あれは確か、季節の境目だった。
昼は汗ばむ陽気、夜は吐く息が白む。まるで生と死が、手のひらを交わすように並んでいた日。

火葬会という名の小さな集まりに、ひっそりと招かれた。
「告別式」とか「通夜」とか、そういう固い言葉は似合わない。
親しい者たちが、ぽつぽつと集まり、酒と茶と少しばかりの菓子を囲み、
笑いながら、ひとつの生の終わりを見送る会だった。

誰も喪服を着ていない。
泣いている人もいない。
代わりに、亡き人が好きだった歌がスマホから流れて、
その人が好んだ甘い匂いの線香が、空気にゆるく混じっていた。

骨は、崩れていく音すら美しかった。
まるで、誰かが長い手紙を、炎で静かに焼いているような、そんな音だった。

死は突然やってくる。
そんなことは知っていたし、日々どこかで意識していた。
けれど、目の前で煙となって昇っていく“誰か”を見て、ようやくわかった。
本当に消えるのだ。あの温度も、声も、まばたきも、もうこの世には戻らない。
だけど、笑って送ることはできるのだ。

「死を想え」なんてラテン語をどこかで読んだことがある。
そういう言葉は硬すぎて、普段の会話では出番がない。
でも、火を見つめていると、その意味が少しずつ染みてくる。
死を想うことは、生を想うことだ。
この火が、誰かの最期を照らすように、わたしたちの今日もまた、
どこかで小さく燃えているのかもしれない。

そんなふうに考えていたとき、
火の向こうに一瞬だけ、誰かの影を見た気がした。

空気の揺れに紛れるような、気配。
遠いようで、すぐそばにいるような、そんな気配。
けれど誰も気づかなかった。
わたしひとりだけが、ふと目を留めただけだった。

それが誰だったかは、今もわからない。
いや、たぶん、知っていたのだと思う。ずっと前から。
ただ、その名を口にすることが、なぜかできなかった。

思い返せば、火を囲むたびに、その人の気配を感じていた気がする。
賑やかな笑いの隙間に、ひときわ静かな眼差しがあった。
誰よりも声を立てずに、誰よりも深く焔を見つめる、あの横顔。

でも、言葉を交わした記憶はない。
手紙を書いたこともない。
ほんの少し、視線を合わせただけ。
それで充分だった。
そのわずかな瞬間のために、わたしは今日まで生きてきたのかもしれないとさえ思う。

人に知られぬ恋というのは、静かで、苦しくて、それでいて、どこか美しい。
言葉にせぬまま、心の底に沈めたものは、
かえって腐らずに、長く澄んでいるように思える。

その人にとって、わたしは空気のような存在だったのかもしれない。
いや、風のような、もっと不確かなもの。
それでも、今日ここで、火を囲むこの場所で、
ただ一度、その気配を見つけたことが、わたしには何よりの贈りものだった。

恋の至極は、忍ぶ恋。
そう教えてくれたのは、誰だったろうか。
その人がそれを知っていたかは、もう確かめるすべもない。
ただ、焔のなかで、ひとひらの羽がふわりと浮かぶのを見た。
それだけで、もう充分だった。

骨になっていく誰かを見送りながら、
同じだけ、見送れぬ想いを、心の奥で抱えていたのかもしれない。

この火は、誰かの終わり。
だけど、わたしにとっては、ひとつの始まりだったのかもしれない。
誰にも言えない恋のために、今日もまた、生きてゆく。
静かに、燃えさしのように。


あの日の火は、もうとっくに消えてしまった。

しかし、あの火を囲んだ輪のぬくもりは、皮膚のどこかに未だ残っている気がする。
いまこうして、部屋の隅に灯した小さな蝋燭を見つめていても、ふいに、あの夜の熱が蘇る。
それは身体にではなく、心の深い底にぽつりと灯る、見えない焔だ。

人は、何かを失ってはじめて、その輪郭を知るのかもしれない。
とりわけ、それが「言葉にならなかった想い」であったなら、なおさらだ。
伝えることをしなかった過去は、悔いと呼ぶにはあまりに静かで、
ただ、いつまでも沈黙のまま、心の奥にすわっている。

あのひとは、鳥のように身軽だった。
あるいは、雲のかたちに似ていた。
決して掴めず、寄りかかることもできず、
けれど、ただ空を見上げれば、いつもそこにいる気がした。

いつか「風のようだ」と思ったことがある。
しかし風には、出会いと別れの区切りがない。
それがいちばんの苦しみだったのだと思う。
恋をしているのに、はじまりも終わりもない。
だから、焔の中でやっと終われたような、そんな気すらした。

でも、忘れることはできない。
いや、忘れたいと思ったこともない。
むしろ、忘れずにいることこそが、わたしの中で続いてゆく「火葬」なのだと思う。
毎晩、心のなかで、そっとひとさじ分の灰を抱いて眠る。
それは哀しみではなく、愛の名残。
声にしなかったぶんだけ、深く深く染みこんで、もう抜け出すことはない。

人が生きるというのは、誰かを愛しきれなかった記憶を、
少しずつ抱え直しながら歩いていくことなのかもしれない。
そして、誰にも気づかれぬまま、微笑の下にその想いを隠し、
日常という名の仮面を被って、今日もまた、静かに呼吸する。

誰も見ていないと思っていた。
あのとき、火の影にまぎれて、目を伏せたわたしを。
けれど、ひとりだけ、わたしの沈黙に気づいた気配があった。
それが気のせいであっても構わない。
恋とは、そうした“錯覚”を唯一の真実にしてしまうものだ。

いま、窓の外では風が吹いている。
春にはまだ早く、冬の冷たさも抜けきらない風。
そのなかに、一枚の羽がふわりと舞っている。
黒く、小さく、どこか艶のある羽。
わたしはそれを拾い上げ、そっと本の間に挟む。
火にくべる代わりに、言葉で包む。
もう二度と触れられないけれど、
それでも、触れなかったことの痛みごと、美しく保存するために。

──たとえあなたの名前を呼ばなくとも、
わたしの中の静かな火は、今日も燃え続けております。


追記という名の暗号

いつか、どこかの町の、どこかの空の下で、
傘をささずに歩いているあなたを見かけたら、
それはわたしがあなたに託した、最後の雨かもしれません。
そのときは、どうか空を仰いでください。
あなたの背の向こうに、わたしは羽根の音だけを残して去ります。



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