2025-11-01

世界史アレルギーの人【だけ】読んで!🏫 「国民」って誰が作ったの?🤔 19世紀ヨーロッパの「最強チーム」爆誕ストーリー

 




世界史アレルギーの人【だけ】読んで!🏫 「国民」って誰が作ったの?🤔 19世紀ヨーロッパの「最強チーム」爆誕ストーリー🇩🇪🇫🇷

やっほー!🙌

みんな、世界史って聞くと「カタカナ多すぎ…」「登場人物、全員ヒゲ生えてね?🧔」「はい、寝る時間です😴」ってなってない?

わかる、まじでわかる。

でも今日は、そんなキミにこそ聞いてほしい、とっておきの話があるんだ!

突然だけど、なんで私たちは「自分は日本人だ🇯🇵」って思うんだろう?

「え、生まれた時から日本人だし…別にフツーじゃん?」って思うよね。

でもさ、その「国」とか「国民」って感覚、

実は、つい最近(歴史的に見たらね!)、誰かによって“デザインされた”ものかもしれないんだよね…。😱

「は? 何言ってんの?」って思ったキミ、正解!

今回は、その「国民」っていう“推し”概念がどうやって爆誕したのか、19世紀のヨーロッパにタイムスリップして、その秘密を探ってみようぜ!✈️


時代は19世紀🌍 日本は明治維新まっただ中!

まず、みんながイメージしやすいように、日本の話をしよう。

この頃、日本では江戸幕府がフィナーレを迎え、「ちょんまげ、さようなら!👋」って明治維新(1867年)が始まった頃。

新しい日本政府は、欧米諸国に追いつこうと必死だった。

スローガンは「富国強兵(ふこくきょうへい)」(国をリッチに!軍隊をマッチョに!💪)

そして「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」(ガンガン工場作って産業育てるぞ!🏭)。

じゃあ、その「お手本」だったヨーロッパはどうなってたか?

当時のヨーロッパでブイブイ言わせてたのが、イギリス🇬🇧。

いち早く産業革命(機械でモノを大量生産できるようになった革命!)を成功させて、「世界の工場」って呼ばれてた。マジで世界最強。💸

ヤバい!イギリスに全部もってかれる!😱

そうなると、めちゃくちゃ焦るのが他の国々。

特に、ドイツ🇩🇪(まだ国としてまとまってなくて、ちっちゃい国がいっぱい集まってた)や、フランス🇫🇷。

「このままじゃ、イギリスに世界の富を全部もってかれる!😭」

「ヤバい、ヤバい!ウチらも国を強くしなきゃ!」

でも、国を強くするにはどうすればいい?

昔みたいに、王様👑や貴族だけが頑張ってもダメだ。

答えは…

「国民みんなで一つの“最強チーム”になること」だったんだ。

そこで、各国の政治家たちは考えた。

「そうだ!💡 これまではバラバラだった人々に、『オレたち、同じ国民チームだぜ!イェーイ!👍』っていう“一体感(国民意識)”を持たせよう!」

そのために、学校(教育制度)を整えたり🏫、国をあげてのお祭り(記念行事)を開いたり🎉したんだ。

こうして、「国民」っていうチームの応援を背負って国を動かしていく、「国民国家」の時代がやってきたんだ!


そもそも「国民」って考え方、いつ生まれたん?🤔

💡 ポイント①:主人公は王様👑じゃなくてウチらだ!

「国の主人公は、国民(ウチら)だ!」

今じゃ、これって当たり前だよね。この考え方を「国民主権」っていうんだけど…(テストに出まーす✏️)

でもね、昔はこれが当たり前じゃなかったんだ。

ほんの数百年前まで、国の主人公は「王様(君主)」。

国はぜーんぶ王様のもので、そこに住んでる人々は、王様の「家来」とか「所有物」に近かった。ひえ〜😱

この「王様が主人公」っていう常識を、ドカン💥とひっくり返したのが、18世紀末のフランス革命(1789年)なんだ。

怒った民衆が「俺たちの主人公は俺たちだ!」って立ち上がって、「人権宣言」っていう超〜大事な書類に、こう書いた。

「主権は、国民にある!」

これ、世界史がひっくり返った瞬間。マジでヤバい事件だったんだ。

😱「革命とかマジ無理…」王様たちの逆襲

でもさ、フランス革命と、その後のヒーロー・ナポレオンの大活躍(大暴れとも言う)で、ヨーロッパ中が大混乱しちゃったわけ。

各国の王様や貴族たちは、「あんな怖い思い、二度とイヤ!😭」「ウチらの国でも革命起きたらどうすんの!」って震え上がった。

そこで1814年、オーストリアの首都ウィーンに、各国の偉い人たちが集まって「戦後のヨーロッパ、どうする?」って会議を開いた(=ウィーン会議)。

この会議の目的は、ハッキリ言って「タイムマシンで革命の“前”に戻すこと」だった。

「革命で追い出された王様たち、元の場所に戻そうぜ!」

「フランスみたいな強すぎ国が出ないよう、みんなで監視し合おうぜ!」

っていう、超〜保守的(昔に戻りたい)な体制(=ウィーン体制)がスタートしたんだ。

(ちなみにこの会議、各国のワガママがぶつかって全然話が進まなくて、そのくせ毎晩ダンスパーティばっかしてたから、「会議は踊る、されど進まず🕺💃」って世界史に残るディスり文句が生まれたのはウケるよねw)

🔥「やっぱ自由が欲しい!」人々の反撃

王様たちは安心したかもしれないけど、一度「自由」や「平等」の味を知っちゃった人々は、黙ってないよね?

「王様が偉い時代に逆戻りとか、ふざけんな!👎」

この不満がついに大爆発したのが、1848年。

まずフランスのパリで、「選挙権よこせー!」って人々が蜂起(=二月革命)。

この火🔥は一瞬でヨーロッパ中に燃え広がり、ドイツのベルリンやオーストリアのウィーンでも、「自由だー!」「俺たちの民族の国を作らせろー!」って革命の嵐が吹き荒れたんだ(=三月革命)。

…と、このまま自由な時代へGO!かと思いきや、そう単純じゃないのが歴史のムズいところ。

フランスでは、あのナポレオンの甥(おい)っ子が「やっぱ俺、皇帝になるわ👑」とか言い出して(ナポレオン3世)、一時的にまた王様(皇帝)の時代に逆戻りしちゃったり…😭

こんな感じで、19世紀は「自由が欲しい国民」と「権力を守りたい王様」が、シーソーゲームみたいに行ったり来たりしてた、超不安定な時代だったんだ。

📰「国民の“キブン”、めっちゃ大事じゃね?」

このシーソーゲームの中で、政治家たちもやっと気づいた。

「あ、もう国民のキブンをガン無視して政治すんの、無理ゲーだわ…🤔」

「……ってことは、逆に! 国民のキブンをこっちに誘導すれば最強じゃね?💡」

そこで大活躍したのが、新聞📰とかの「メディア」。

政治家たちは新聞を使って、「俺の政策、イケてるっしょ?」「みんな、俺を支持してくれよな!」って、国民にアピールし始めたんだ。

この「国民のキブンを操る」のが天才的にウマかったのが、次にご紹介する、あのお方だ…。


🇩🇪 筋肉(ハード)で国を作った男、ビスマルク💪

💡 ポイント②:「話し合いはムダ。鉄と血だろJK」

さあ、お待たせしました!

19世紀半ばまで、「ドイツ」っていう一つの国はまだなかった。

「ドイツ語を話す人々」が住む、ちっちゃい国(両方国家)がいっぱい集まってる地域、それがドイツだったんだ。

その中で、一番強くてイケてたのが「プロイセン王国」。

だんだん「ドイツ人、みんな集まって一つの“最強チーム”になろうぜ!」っていうノリ(=民族主義)が高まってた。

その流れで、1834年には「ドイツの仲間内なら、貿易の税金(関税)ナシにしようぜ!」っていう「ドイツ関税同盟」ができて、経済的には少しずつチームっぽくなってた。

そんな中、1862年、プロイセンの首相に就任したのが、この男。

世界史のラスボスの一人、オットー・フォン・ビスマルクだ。

当時のプロイセン議会は、「軍事費アップ?はぁ?ふざけんな!税金のムダ!👎」って、王様とバチバチに対立してた。

そこで首相になったビスマルクは、議会で歴史に残る伝説の演説をカマす。

「今の大問題はなぁ、話し合いとか多数決ごときで解決できると思ってんのか? あぁ? 解決できんのは“鉄と血”だけだ!」

こわっ!😱

この「鉄血演説」から、彼は「鉄血宰相」って呼ばれるようになる。

「鉄」っていうのは、武器とか鉄道(軍隊を運ぶため🚂)のこと。

「血」っていうのは、兵士のこと。

つまり、「ゴチャゴチャ言ってねえで、黙ってろ。これからは軍事力(パワー)が全てだ」って宣言したんだ。

(ちなみに最近の研究では、ビスマルクは「ドイツ民族サイコー!」みたいなアツいヤツだったっていうより、「プロイセン王の権力、マジ大事。議会のヤツら、うぜえ」っていう、超〜クールな現実主義者だったと言われてる。邪魔な議会を黙らせて、プロイセンの力を強めるために、「ドイツ統一」っていうスローガンと「戦争」をうまく利用した策士だったんだね🤔)

⚔️ 戦争!戦争!また戦争!ドイツ統一3ステップ

ビスマルクの「富国強兵」は、マジで演説どおり、戦争で進められた。

STEP①:vs オーストリア(1866年:普墺戦争)

「ドイツ統一のリーダーは誰だ?」をめぐって、もう一つのドイツ系大国オーストリアとガチバトル。結果、プロイセンが圧勝!💪 これで北ドイツの国々をまとめることに成功(北ドイツ連邦)。

STEP②:vs フランス(1870年:普仏戦争)

次に、ドイツが一つにまとまることをめちゃくちゃ恐れてたフランス皇帝ナポレオン3世を、うまく挑発して戦争に引きずり込む。ここでもプロイセンが圧勝!🎉 ナポレオン3世、捕虜になっちゃう。

STEP③:ドイツ帝国、爆誕!(1871年)

フランスに勝った熱狂の中、ビスマルクは最高にイヤミな場所で「ドイツ帝国」の成立を宣言する。

どこだと思う?

なんと、敵国フランスの、あの「ヴェルサイユ宮殿」 🏰。

フランス国民からしたら、これ以上ない屈辱だよね。「てめー、ウチの庭で何してくれてんだ!😭」って。

(この屈辱が、ずーっと後になって、第一次世界大戦っていう最悪の戦争の伏線になっていくんだ…歴史って怖いね…)

こうしてビスマルクは、話し合いじゃなくて「鉄と血」っていうハードパワーで、バラバラだったドイツを一つの強大な国にまとめ上げちゃった。

そして、この「国がガチで工業と軍事を育てる」っていうプロイセンのやり方を見た、遠い国の日本🇯🇵(明治政府)は…

あのやり方、イケてね? ウチらもパクろ!

ってなって、ドイツ(プロイセン)をお手本に「富国強兵」を進めていくことになるんだよ。


🇫🇷 キブン(ソフト)で国を作ったフランスさん🎨

💡 ポイント③:負けたけど…心で一つになろうぜ!

さて、一方その頃。

ドイツにボコボコにされ、ヴェルサイユ宮殿で屈辱の戴冠式までやられちゃったフランスさん…。

皇帝ナポレオン3世もいなくなって、新しく「第三共和政」っていう体制で再スタートを切ることになった。

でも、もう国はボロボロ。プライドもズタズタ。

「ドイツに勝つには、ウチらも国民が一つにならなきゃ…でも、どうやって?🥺」

ドイツが「筋肉(ハード)」で国を作ったなら、

フランスは「心(ソフト)」で国民を作ろうとしたんだ。

🇫🇷「今日からキミもフランス国民!」大作戦

考えてみてよ。

パリのオシャレなパン屋さん🍞と、南フランスの田舎でブドウ🍇を育ててる農家のおっちゃんが、「イェーイ!俺たち、同じフランス国民!仲間だぜ!」って思うの、普通に考えてムズくない?

フランス革命の前は、人々は「俺はパリ市民」「俺は〇〇組合所属」みたいな、所属してる地域やグループ(社団)の意識が強くて、国とのつながりはバラバラだった。

革命が「全員、平等な“個人”な! 中間グループとかナシ!」ってルール変更したんだけど…

昨日まで農家だった人に「はい、今日からあなたは“フランス国民”ですよ」って言っても、「はぁ??」ってなるよね。

そこで、フランス政府は、国民の“一体感”や“キブン”をアゲるための仕掛けを、これでもか!ってくらい作ったんだ。

① 全員参加! 国民的フェス! 🎊

学校の文化祭や体育祭って、準備とか練習でクラスが妙に盛り上がって、一体感生まれるじゃん? アレを国単位でやった。

それが、7月14日の「革命記念日(パリ祭)」!

そう、フランス革命で民衆がバスティーユ要塞を襲撃した、あの日だ。

第三共和政は「ウチらこそが、あのフランス革命の“本当の後継者”だぜ!」ってアピールするために、1880年にこの日を国民の祝日に決めたんだ。

当日は、国力をアピールするド派手な軍事パレードとかやって、「うおー!フランスすげー!🇫🇷」って国民のテンションをブチ上げたんだ。

② 「推し」を作ってシンボル化! ✨

チームにはチームの旗(国旗)や歌(国歌)があるよね。

それと同じで、「国民」っていうチームにもシンボルが必要だった。

さらに、「国民的ヒーロー(推し)」も作ったんだ。

パリにある「パンテオン」っていう、めちゃくちゃカッケー建物があるんだけど、そこを「フランスの偉人」たちを祀るお墓(霊廟)にしたんだ。

ここには、革命の思想を作ったルソーやヴォルテール、作家のヴィクトル・ユゴー、科学者のキュリー夫妻…みたいな、「フランスのレジェンド」たちを集めて、

「この人たちが、キミたちの共通の“推し”だよ! みんなで尊敬しようぜ!」

って感じで、「国民の聖地」に仕立て上げたんだ。

③ 最強の「国民」製造マシン…それは「学校」 🏫

そして、これが一番ヤバくて、一番強力だった。

そう、**学校(公教育)**だ。

国が作った学校で、まだ何も知らないチビッ子の頃から、全国どこでも「同じ教育」を施す。

特に大事にされたのが、この3つの科目!

  1. 国語(みんな同じ“フランス語”をしゃべろうぜ!)

  2. 地理(これが俺たちの住んでる“国土”のカタチだ!)

  3. 歴史(俺たちには“共通のヤバい過去(ストーリー)”があるんだぜ!)

こうやって、「同じ言葉」を話し、「同じ国土」を知り、「同じ歴史」を共有する人間を、工場で製品を作るみたいに育てていったんだ。

📖 感動の名作『最後の授業』…と、その【ウラ側】😨

この「国語、まじ大事」っていうのを、超〜エモく描いたのが、フランスの作家アルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』。

舞台は、普仏戦争でドイツに取られちゃったアルザス地方の村。

主人公の少年フランツは、いつも勉強をサボってばっか。

でも、ある日学校に行くと、村の大人たちも集まってて、なんか様子が変…。

アメル先生が、悲しそうに言うんだ。

「今日が、フランス語の最後の授業です。明日からは、ドイツ語の授業になります…」

そして、最後の授業で先生はこう言う。

「フランス語は、世界で一番美しい、一番はっきりした、一番力強い言葉です。…ある民族が奴隷になっても、その国の言葉を保っている限りは、牢獄のカギを握っているようなものです…」

うわーん、泣ける…😭

自分の国の言葉を奪われるって、こんなに悲しいことなんだね…

国語って大事なんだなぁ…🇫🇷

…と、思うじゃん?

ここからが、世界史の本当に面白い(そして、ちょっと怖い)ところ!

この講義の先生が指摘してるんだけど、

実は、このアルザス地方って、もともとフランス語じゃなくて、「アルザス語」っていうドイツ語にめちゃくちゃ近い方言がメインで話されてた地域だったんだ!

え、まじで!? 😱

つまり、この感動的なストーリーは、100%の「事実」っていうよりも、

「国が一つにまとまるには“国語(この場合はフランス語)”が超〜大事っしょ!」っていう、当時のフランス政府のゴリゴリの“宣伝(イデオロギー)”が詰まった【フィクション】だった可能性が、非常に高いんだ。

「国民」って、自然に湧いて出たんじゃなくて、こういうエモい“物語(ストーリー)”の力も借りて、政治家たちが一生懸命「作ろうとした」ものだったってことが、よーく分かる話だよね。

🏭 学校 =「兵士&労働者」の養成所?

もちろん、学校の目的は「国民の心」を作るだけじゃなかった。

もっと超〜現実的な目的もあった。

国が工業化(殖産興業)を進めるには、工場で機械をちゃんと動かせる「労働者」👷が必要だよね。

国が軍事化(富国強兵)を進めるには、上官の命令をキチンと理解できる「兵士」💂が必要だよね。

つまり、学校っていうのは、

(ソフト面)「国ラブ❤️」な均質な国民を育てる

っていう目的と同時に、

(ハード面)国の役に立つ「質の良い労働者」と「質の良い兵士」を作る

っていう、二つの目的を持った、超ハイテクな「国民製造工場」だったんだ。

こうして、ソフト(心・教育)とハード(筋肉・軍事・経済)がガッチリ組み合わさって、「国民国家」っていう、それまでの時代にはなかった最強のシステムが完成していったわけさ。


まとめ:“当たり前”を疑うと、世界史は面白い!

どうだったかな?

「国民」って、私たちが今、空気みたいに当たり前に思ってるものだけど、

実は19世紀のヨーロッパで、イギリスに追いつくために、各国の政治家たちがいろんな狙いを持って一生懸命「デザイン」したものだったんだね。

もちろん、これには良い面(プラス面)もいっぱいあった。

それまで字も読めなかった庶民が、みんな教育を受けられるようになったり🏫、

「国の主人公は俺たちだ!」って、政治に参加できる権利(選挙権)を(少しずつだけど)ゲットしていったりね。🎉

でも、忘ちゃいけないヤバい面(マイナス面)もあった。

「俺たちチーム、最強!」💪っていう一体感は、

「“あいつら”チーム(他の国)には絶対負けねえ!ぶっ潰せ!」

っていう、超〜攻撃的なキブンと、いつも隣り合わせなんだ。

この国民同士の「チーム対抗戦」がどんどんエスカレートして、ヨーロッパの外のアジアやアフリカを植民地にしていく「帝国主義」になったり、

最後には、ヨーロッパ中の「最強チーム」同士がガチでぶつかり合う、史上最悪の戦争「第一次世界大戦」💥(1914年)に突っ込んでいっちゃうんだ…。

世界史って、ただの暗記科目じゃなくて、

私たちが今「当たり前」って思ってることの“ルーツ”を探る、超エキサイティングな謎解きなんだぜ!

今日の話で、ちょっとは世界史、面白そうかも?って思ってくれたら、最高に嬉しいな!

じゃあ、またねー!👋



世界史アレルギーの人【だけ】読んで!🏫 「国民」って誰が作ったの?🤔 19世紀ヨーロッパの「最強チーム」爆誕ストーリー

  世界史アレルギーの人【だけ】読んで!🏫 「国民」って誰が作ったの?🤔 19世紀ヨーロッパの「最強チーム」爆誕ストーリー🇩🇪🇫🇷 やっほー!🙌 みんな、世界史って聞くと「カタカナ多すぎ…」「登場人物、全員ヒゲ生えてね?🧔」「はい、寝る時間です😴」ってなってない...