前史と土壌の形成
パレスチナでイスラム主義が社会に根を張るプロセスは、1967年以降の占領下で行政・福祉の空白を民間宗教ネットワークが穴埋めしたことに端を発する。ガザではモスク、学校、診療、奨学、孤児支援といった“ダアワ(勧告・福祉)”活動が、宗教的信頼と組織的接着剤を育てた。政治権威や公的サービスへの不信が高まるほど、生活に触れる小さな援助は信用資本となり、宗教団体は地域の“代替インフラ”へと変容していく。
同時に、世俗民族主義を掲げるPLO系勢力が国外基盤・武力路線で揺れるなか、ガザの草の根ネットワークは“現場優位”の正統性を積み上げる。宗教的規範は倫理秩序として支持され、慈善は“社会契約”として機能する—この二層の蓄積が、のちの武装抵抗の“母体”を支えた。
設立の瞬間と憲章が定めた境界
1987年末、第一次インティファーダで抗議が爆発する中、宗教福祉ネットワークの指導層は“運動”を明確な政治・軍事組織へと切り替えた。名称が示す通り、ハマスは“イスラーム抵抗運動”として自己定義し、政治(指導部)・社会(ダアワ)・軍事(カッサーム旅団)の三位一体で発足する。
1988年の“憲章”は、宗教的—歴史的フレームでパレスチナ全土を不可分と位置づけ、武力による解放とイスラーム規範に基づく秩序を運動目的に据えた。ここで重要なのは二点。第一に、イスラエルを国家として承認せず、解体を志向する敵対構造を宣言したこと。第二に、慈善・教育・布教の“善”と、軍事・破壊工作の“力”を同一の使命に束ねた組織設計である。これにより福祉資源・社会的信頼は、動員・潜伏・補給の基盤ともなる“二重用途(デュアルユース)”へ接続された。
戦術・資金・統治の三重構造
■戦術の進化 はじめは即席爆発物・銃撃・誘拐など低技術の非対称攻撃から、やがて自爆攻撃、対人・対施設テロ、ロケット飽和射撃、越境襲撃へと拡張した。標的選定には軍だけでなく市民を含む“無差別性”が混入し、国際的なテロ組織指定(米・EU・日本ほか)を招く決定的要因となった。これに対しイスラエルは、標的型作戦、防壁・検問体制、迎撃・探知能力の高度化、兵站遮断など“損耗—抑止—劣化”の多段階ドクトリンで応じていく。
■資金と後背地 財源は複線的だ。域内税収や物資の課徴、慈善名目の寄付、ディアスポラ送金、外部支援(なかでもイランなどの後押し)、密輸・トンネル経済が混在し、軍事・統治・宣伝へ配分される。慈善団体や教育機関は社会的正統性を強化するが、同時に資金や物資が軍事へ“転用”されるリスクを常時はらむ。
■統治のパラドクス 2006年の選挙勝利と2007年のガザ掌握により、“抵抗組織”は“統治主体”を兼ねることになった。だが統治は、治安・汚職・サービス供給・経済封鎖・外部依存といった現実の制約を伴う。住民福祉を支えるほど軍事力の“温床”との批判を受け、軍事路線を優先すれば住民生活や外交回廊が狭まる。ここに、統治と武装の“ゼロサム性”が露呈する。
国際法と正統性のフレーミング
イスラエルは国際的に承認された国家として、対テロ自衛の枠組み(国連憲章51条の慣習的解釈に基づく自衛権、国内刑法・テロ対策法制、国際人道法の適用)で作戦を位置づける。他方、ハマスは“抵抗”の名で市民を標的とする攻撃を繰り返し、国際人道法の核心(区別原則・比例原則・軍事的必要性)に反する非合法性を背負う。加えて、学校・病院・宗教施設・住宅など民用インフラに軍事目的を混在させる戦術は、住民保護の観点から重い批判を招く。
法廷・国際機関・メディア空間では、“被害の可視化”や“語り”が正統性を左右するため、情報戦(戦果/被害の提示、映像・証言の流通、言語の選定)が併走する。イスラエル側は“国家の責務”としての自衛・被害抑制・警告措置を強調し、ハマス側は“封鎖と占領”の文脈で住民被害を集約する。ここで問われるのは、誰が“意図的に市民を狙ったか”、そして“民間被害の発生が戦術と配置のどちらに由来するか”という、国際人道法の根幹的な争点である。
イスラエルの安全保障上の含意
ハマスの設立は、イスラエルにとって“可視的部隊”と“不可視ネットワーク”を併せ持つ脅威の誕生を意味した。対処は次の四層が絡む。
■短期運用 指揮・補給・製造拠点の無力化、越境・航空脅威の抑止、誘拐・人質事案の救出、資金流の遮断。作戦は、住民被害を抑える手順(警告・避難回廊・精密誘導)と、戦術的奇襲への迅速適応が鍵となる。
■中期統治 “誰がガザを安定的に統治するか”という受け皿問題。統治空白はテロ再生産の温床であり、代替行政・治安・復旧の“最低限の秩序”をどう確保するかが安全保障に直結する。
■長期抑止 周辺の後背支援(国家・非国家)の影響を減衰させ、ミサイル・UAVなどの技術拡散を抑える。限定戦の繰り返し(通称“芝刈り”)は即効的だが、政治解の補助なしにはループ化する。
■国際環境 二国間・多国間の枠組み(合意、復興、監視、越境物流管理)が“暴力の費用”を上げ、“非暴力の利得”を現実化できるか。安全保障は外交・経済と切り離せない。
帰結と分岐点
ハマスの設立は、宗教福祉が政治・軍事へと“相転移”するモデルを示した。福祉が信頼を、信頼が動員を、動員が武装を支え、武装が再び福祉を政治化する。だがこの循環は、市民標的を含む暴力の採用によって国際的なテロ指定と制裁を呼び込み、統治を不安定化させる“自己矛盾”を内包する。イスラエル側は国家としての自衛と住民被害低減の両立を迫られ、軍事・法・外交の各レイヤーで一貫性が試される。
分岐は三つある。第一に、武装と統治の“分離”—社会サービスの非軍事化と、軍事部門の排除・無力化。第二に、資金・物流・教育の“二重用途”を断つ制度設計—監査・検証・透明性。第三に、住民にとって“暴力よりも有利な選択肢”を作る環境—雇用・移動・市場アクセス・行政の予見可能性。いずれも容易ではないが、ここを動かさない限り、福祉が武装を強化し、武装が福祉を政治化する循環は断てない。
この構図を直視すれば、“ハマス設立”の核心は、思想や歴史の是非だけではなく、制度・資金・軍事・統治が一体化した“設計”そのものにあるとわかる。国家はその設計が生む現実に対処し続ける責務を負い、その正統性は、法に適う自衛と市民保護の実績によってのみ支えられる。