「保守」とは何だったのか――日本保守党をめぐる言論と沈黙の構図
第一章:はじまりは“同志”だった
2024年春、保守論壇の旗手として期待を背負い、日本保守党の記念すべき初の公認候補として立ったのが、イスラム思想研究者・飯山陽氏である。当時の百田尚樹氏や有本香氏といった党幹部と飯山氏は、理念を同じくする“同志”という関係に映っていた。保守派の価値観を共有し、日本社会の再生を目指すという旗印のもとに団結していたように見えた。
だが、政治は理念だけでは動かない。2024年4月の衆院東京15区補選を機に、関係は次第にきしみ始め、選挙後には両者の間に溝が広がっていった。飯山氏は次第に、百田代表や有本事務総長の言動に対して批判的な発信を行うようになり、それに対し党側も応戦。相互の批判は次第に先鋭化していく。
第二章:訴訟という応答――言論か、封殺か
2025年、飯山陽氏と著述家・近藤倫子氏は、それぞれ百田氏および日本保守党から名誉毀損を理由とする民事訴訟を提起される。
その発端は、飯山氏が月刊誌『Hanada』2024年4月号において「日本保守党はLGBT理解増進法の問題に一切取り組んでいない」と記述したことだった。これを受け、保守党側は「“一切”という表現は虚偽であり名誉を毀損する」と主張し、法的措置に踏み切った。加えて、飯山氏が自身のYouTubeチャンネルで「百田尚樹にはゴーストライターがいる」と述べたことも、名誉毀損として訴訟対象となった。
さらに、近藤氏がYouTube番組「デイリーWiLL」での発言で、「百田代表の虚勢」「有本事務総長の遅刻を発達心理学的に分析する」といった発言を行い、人格批判と捉えられたことが訴訟の火種となった。
これらの訴訟に対して、教育研究者の藤岡信勝氏やジャーナリストの長谷川幸洋氏を中心に、「日本保守党の言論弾圧から被害者を守る会(略称:守る会)」が立ち上がる。藤岡氏は「これは典型的なスラップ(SLAPP)訴訟であり、政治的権力が言論を封殺する危険な前例である」と警鐘を鳴らす。
第三章:民事訴訟法上の名誉毀損と表現の自由の交錯
民事訴訟における名誉毀損の構成要件は、「特定人の社会的評価を低下させる具体的事実の摘示」があり、それが「公共性・公益性・真実性・相当性」のいずれかで正当化されない場合に成立する。
しかし、今回のケースでは、いずれの発言も公人・準公人に対する批判・評論としての性格を強く持っている。百田氏や有本氏は、単なる私人ではなく、政治団体の指導者であり、メディアを通じて広く自己主張を行ってきた存在である。そのため、最高裁が繰り返し示してきた「公人への批判は私人よりも広く許容される」という原則が適用されるべきである。
たとえば、1993年のいわゆる「長崎市長訴訟」判決において最高裁は、「公人や公的事務に関わる者への批判は、一定の程度に達しない限り、名誉毀損にはあたらない」として、表現の自由を最大限尊重する立場を示している。
そうであればこそ、今回の訴訟が「言論を裁判に持ち込むことで相手の発言を封じる意図があるのではないか」と疑念を抱かせる結果となっている。
第四章:「保守」の名を騙るものたち――理念なき攻撃性
さらに深刻なのは、「保守」を標榜する政治団体が、法を用いて言論に対抗しようとする姿勢そのものの危うさである。
そもそも保守思想とは、急進的な社会改変への警戒心と、歴史・伝統に根ざした寛容さ、慎み深さをその中心価値とするものである。だが、日本保守党の幹部たちによるSNSやメディアでの振る舞いには、そうした慎みの精神は見えにくい。批判的な意見に対して「敵」「デマ屋」などとラベリングし、晒し上げる手法は、まさに近代保守主義が警戒してきた“群衆の激情”そのものに見える。
法的措置が、社会的力関係の非対称性を背景に、批判者の口を封じる道具と化すのであれば、それは保守主義とは真逆の行為である。「保守」という語が、理念ではなく、敵を叩くための装飾になってはいないか。
第五章:保守メディアの変質と倫理
2025年春以降は、保守系の雑誌メディア――『Hanada』『WiLL』なども、当初の日本保守党への協調路線から一転し、党の姿勢に疑問を呈するようになっている。とりわけ、『Hanada』では、飯山陽氏自身が寄稿し、党の問題点を明記している。
メディアが政治団体と距離を取り、一定の倫理基準を回復しつつある動きは評価できる。一方で、過去においてはこれらのメディアが「党への批判は保守陣営への裏切りだ」といったような論調を許容してきた事実も否めない。その意味では、今回の一連の対立を通じて、保守メディアの自律性・編集倫理がようやく再確認されつつあるとも言える。
メディアは誰のものか? 政治的主張と報道の独立性が再び問われている。
第六章:飯山陽の変遷――知性と信念の果てに
飯山陽氏の歩みは、日本の保守言論のなかでも特異な存在感を放ってきた。イスラム思想研究を軸に、欧州の移民政策や宗教的寛容性への批評を通じて、「多文化主義」への警鐘を鳴らしてきた。思想的には一貫して「現実の危機に正面から対峙する」という姿勢を貫いている。
日本保守党と袂を分かつことになった2024年以降も、飯山氏は単に党を批判するのではなく、政治家としての資質・倫理に関する問いかけを続けている。訴訟という圧力のなかにあってもなお、言論を通じて民主主義に奉仕しようとする姿勢は、真の意味での「知識人」の矜持といえるだろう。
終章:黙ることへの抵抗としての言葉
政治において対立は避けられない。だが、訴訟という手段が思想や言論を封じる道具となる時、そこに立ち上がるのは「自由とは何か」という根源的な問いである。
この国の保守とは何か。言論の自由とは何か。私たちは再び問い直さなければならない。
それは、飯山陽という一人の研究者をめぐる物語であると同時に、言葉を持つすべての市民の問題でもあるのだ。
【あなたの声が力になります】――署名活動のご案内
現在、こうした日本保守党による名誉毀損訴訟に対して、「言論封殺を許さない」という立場から、多くの市民が立ち上がっています。
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