2025-04-29

霊の往還:お盆という時空のしずく

 

霊の往還:お盆という時空のしずく

かすかに草いきれの匂いが満ちる頃、日本列島には静かな異界の風が吹き始めます。それは、あの世とこの世とが、ふと指先で触れ合うように接する、盆の季節です。

お盆――正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」と呼ばれるこの行事は、仏教経典『仏説盂蘭盆経』に由来するとされています。けれど、その成立には幾ばくかの影が差し、インド由来というよりも中国で編まれた偽経であると見なす声もあります。

とはいえ、物語は美しいのです。

仏弟子・目連(もくれん)は、亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しむ姿を見、師である釈尊に救済の道を問います。釈尊は、安居の終わる七月十五日に、自恣(じし)という修行僧の自己懺悔の儀にあわせて布施をせよと説きました。目連がその通りに行うと、母は救われた――これが盂蘭盆会の起源とされるのです。

餓鬼道とは、飢えに苦しみ、喉も焼けつくような乾きに喘ぎながら、満たされることのない亡者たちの世界。仏教の死生観において、六道輪廻のうち最も哀れな存在たちがそこにいます。施しをしても、まず餓鬼に奪われてしまう。だからこそ、仏教では「施餓鬼」という儀式が生まれました。餓鬼に施すことで、ようやく本来の故人に供養が届く。まるで、亡者の目を欺きながら、供物を祖霊に手渡す一瞬を狙うようです。

棚を組み、灯明をともす――そうして施餓鬼棚の前に、私たちはそっと手を合わせます。

お盆の時期は地域によって異なります。かつては旧暦七月十五日が主でしたが、今では新暦七月十五日、あるいは八月中旬に行われることが多くなりました。いずれにせよ、そのはじまりを告げるのが「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」。地獄の釜の蓋が開き、亡者たちがあの世から出てくる――そんな言い伝えが、私たちの想像力を優しくくすぐります。

その日から、人々は山へ入り、草を刈り、墓を洗い、盆花を摘む。迎え火を焚き、祖霊が迷わぬようにその足元を照らします。都会の片隅でさえ、まだ迎え火の炎が小さく揺れる光景に出会うことがあります。細い煙が空へ昇り、どこかで聞いた懐かしい声を思い出させるような、不思議な瞬間です。

お盆には、仏壇の前に「盆棚」と呼ばれる臨時の祭壇がしつらえられます。精霊を迎えるための、仮の御座。そこには、供物と共に、キュウリで作った馬とナスの牛が添えられるのが慣わしです。祖先の霊は、キュウリの馬に乗って早くこちらへ戻り、ナスの牛に乗って、ゆるゆると名残惜しげに帰っていくのだと――子どもたちはその話に目を輝かせ、大人たちはその深意に目を伏せます。

そして、盆の終わりには「送り火」が焚かれ、あるいは「精霊流し」として霊を水へ送り出します。

ここでひとつ、問いが浮かびます。

祖霊たちは、「釜蓋朔日」に帰ってきて、「送り火」で去ってゆく。ならば、彼らが戻る場所はどこなのか。釜の蓋が開くのなら、それは地獄でしょうか? 私たちは、祖先の霊を地獄へと送り出しているのでしょうか?

いいえ。これは仏教の地獄ではありません。

ここにあるのは、信仰としての「地」、つまりあの世――死者たちの住まう世界のことなのです。仏教経典の冷厳な地獄観ではなく、人びとの心の中に育まれた、やさしい死後の世界。迎え火も送り火も、そこに暮らす霊たちが、忘れずに家に戻ってくることを願う、祈りの光なのです。

時空のしずくが静かに落ち、盆の季節がまた去ってゆきます。

残された私たちは、そのたびに思い出すのでしょう――キュウリの馬にまたがった祖先の、どこか急ぎ足で、けれど確かに笑っていた気配を。


【あの世の灯火:お盆に宿る祈りと矛盾のかたち】

…まさに宗教じゃなくて、これは「信仰」の世界。
地獄という言葉は出てきても、それは仏教の厳密な教理に基づく六道輪廻の地獄というよりも、「あの世」――目には見えぬが、どこかに存在すると信じられてきた、死者の霊が帰ってくる場所。

つまり、釜の蓋が開くというのも、信仰的な表現なのです。
私たちの祖先は、仏教の地獄で責め苦にあっているのではない。
彼らは、「懐かしいあの人」として、お盆のときに帰ってくる。
それは、私たちが草を刈り、墓を洗い、迎え火を焚き、盆棚を飾り、精霊流しをする、その一連の行為の中で、自分の心と共にある場所に、確かに「帰ってきている」からなのです。

お盆とは、亡き人を思い、共に暮らした時間を思い返し、
その霊を丁寧に迎え、そして名残惜しさとともに送り出す、年に一度の「魂の通い路」。
逆さ吊りの苦しみを経て救われた母の霊の伝承が物語るのは、単なる供養の由来ではなく、「思いやる心こそが、苦しみを解き放つ力になる」ということなのでしょう。

ナスの牛にまたがって、のったらくったら帰っていくあの世の旅路。
その背中に私たちは、懐かしさとともに「いのちの連なり」を見ているのです。
キュウリの馬で急ぎ帰ってくる祖霊の姿には、私たちを忘れずにいてくれる存在の証を見ている。

宗教的な正しさよりも、大切なのはこの「物語」がつくり出す、世代を越えた絆。
迎え火と送り火のあいだに宿るもの――それは、教義ではなく「心」なのです。

地獄の釜の蓋が再び閉じるとき、霊たちはどこへ帰るのか。
それは「地獄」ではなく、おそらく、記憶という名の、やわらかな場所。
私たちが静かに合掌する、その指のあいだから、
再び季節がめぐる日まで、祖霊はそっと、去っていくのでしょう。


こうして、お盆という行事は、仏教的でもあり、民俗的でもあり、しかしそのどちらにも収まりきらない「生きた文化」として、私たちの生活の中に息づいています。

たとえば、ある老人は言いました。

「亡くなったじいさんは、あの世でも相変わらず口うるさいに違いない。けどな、不思議と、お盆になると夢に出てくるんだ。『墓、きれいにしとけよ』ってさ。あれ、たぶん本当に帰ってきてるんだよ」

科学では説明できない。でも、確かに人は「感じて」いるのです。
――その人が、帰ってきた、と。

ここにあるのは、哲学でも理屈でもなく、「思い出す」という行為の力。
それがまるで引力のように、遠くに旅立った命を再びこの世へと引き寄せる。
だからこそお盆とは、死者の祭りであると同時に、私たち生きている者にとっての「生の再確認の儀式」なのかもしれません。

キュウリの馬やナスの牛という、愛らしい形代(かたしろ)に込められた思い。
そこには、単なる遊び心ではない「別れと再会」の物語が詰まっている。
それは、失われた命に「再び息を吹き込む」儀礼のようでもあります。

人は死んでも、なお生者の中に生き続ける。
その連なりを、私たちはこうして毎年、確かめているのです。


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