実はヤバい?😱 コーヒー1杯の裏側☕️ 世界史の闇・アフリカ400年の物語🌍
やっほー!みんな、元気?😎
突然だけど、今、何しながらこれ読んでる?
学校の休み時間?🏫 電車の中?🚃 それとも家でゴロゴロしながら?🛌
もしかして、片手には甘〜いカフェラテとか持ってたりする?☕️
いいねいいね!じゃあ、そのコーヒーが、実はとんでもない歴史と繋がってるって言ったら…信じる?🤔
「は?何言ってんの?🙄」って思ったそこのキミ!
今日は、学校の授業では絶対に教えてくれない、コーヒーや砂糖、そして君が着てるコットンのTシャツ👕の裏側にある、ちょっぴりダークで、でも超大事な世界史のお話を、ブログ形式でゆる〜く語っちゃうよ!✨
舞台は、太陽の大陸アフリカ🌍。
今から約500年前から始まった、希望と絶望がジェットコースターみたいに入り乱れる400年間のガチ物語。
退屈な年号の暗記は一切ナシ!約束する!🤙
さあ、心の準備はいい? それじゃ、始めてみようか?
第1章:世界をつないだ「悲劇の三角形」🔺 ~大西洋奴隷貿易のリアル~
みんな、「大航海時代」って言葉は聞いたことあるかな?
コロンブスとかが「新大陸発見!うぇーい!🥳」ってやってた時代のことね。
この時代、世界が初めて船で一つにつながったんだ。すごいよね!🚢💨
でもね、このキラキラした冒険ストーリーの裏で、とんでもなく悲しい経済システムが爆誕しちゃったんだ…。
それが、「三角貿易」。名前からしてヤバそうでしょ?🔺
こんな感じの貿易だったんだ↓
【ヨーロッパ🇪🇺 → アフリカ🌍】
ヨーロッパの船が、銃🔫、お酒🥃、安いガラス玉💎みたいな商品を積んで、アフリカの西海岸へGO!
【アフリカ🌍 → アメリカ大陸🌎】
アフリカに着いたら、持ってきた商品とあるものを交換するんだ。
その、あるものとは…「生きた人間」。つまり、アフリコの人々だったんだよ…😢
彼らは「奴隷」として船の底に家畜みたいにぎゅうぎゅうに詰め込まれて、大西洋を渡ってアメリカ大陸へ運ばれたんだ。
【アメリカ大陸🌎 → ヨーロッパ🇪🇺】
アメリカ大陸で奴隷を売り払った船は、空っぽになった船倉に、今度は奴隷たちの血と汗と涙でつくられた砂糖🍚、タバコ🚬、綿花☁️、そしてコーヒー豆☕️をパンパンに積んで、ウハウハでヨーロッパに帰っていくんだ。
この無限ループで、ヨーロッパはめちゃくちゃ儲けて、後の産業革命につながる莫大な富をゲットしたってワケ。💰💰💰
私たちが今、当たり前にコーヒーや紅茶に砂糖を入れて楽しめるのも、元をたどればこの悲しい歴史があったからなんだよね…。
じゃあ、一体どれくらいの人が、故郷から無理やり引き離されたんだろう?
最新の研究によると、アメリカ大陸に「生きて」たどり着けた人の数だけで、なんと約1250万人。
マジで天文学的な数字でしょ…😱
日本の今の東京都の人口が約1400万人だから、それとほぼ同じくらいの人が連れ去られたってこと。ヤバすぎる…。
しかも、これはあくまで「生存者の数」。
奴隷狩りの時に抵抗して殺された人、港まで歩かされる途中で倒れた人、そして「ミドル・パッセージ」って呼ばれる地獄の船旅(約2ヶ月間、身動きも取れない暗闇の中!)で病気や絶望で亡くなった人を含めると、犠牲者の数はその何倍にもなるって言われてるんだ。想像を絶するよね…。😭
「でも、なんでそんなに労働力が必要だったの?」って思うよね。
それは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に持ち込んだ天然痘みたいな伝染病で、もともとそこに住んでいた先住民(インディオ)の人たちがバタバタと亡くなって、人口が激減しちゃったからなんだ。広〜い農園でサトウキビとかを作る人がいなくなって、「そうだ!アフリカから連れてくればいいんじゃね?💡」ってなっちゃったんだよ。
ここで、さらに歴史の複雑なポイント。
この奴隷貿易、実はヨーロッパ人だけでやってたわけじゃないんだ。ヨーロッパの商人が持ち込んだ銃🔫が、アフリカ社会のパワーバランスをぐちゃぐちゃにしちゃった。
「あの国の王様、銃を手に入れて強くなったらしいぜ…」
「うちの国も武器を手に入れるには、戦争で捕まえた捕虜をヨーロッパ人に売るしかない…!」
こんな感じで、アフリカの王様や商人の中にも、奴隷貿易に協力する人が出てきちゃったんだ。銃を手に入れるために、他の部族の人々を奴隷として売る…。 そんな悲しい連鎖が、この貿易をさらに巨大化させちゃったんだよ。💔
第2章:善意が地獄の扉を開けた?🚪 ~探検家と宣教師の時代~
こんな非人道的なシステム、さすがに「これ、おかしくね?😠」って思う人たちが出てくるんだ。
19世紀になると、ヨーロッパで「人間はみんな自由で平等な権利を持ってんだよ!✊」っていう啓蒙思想がブームになる。人道主義の観点から、奴隷制度への批判がめちゃくちゃ高まったんだ。
さらに、超絶クールな事件が起きる。
カリブ海のフランス植民地(今のハイチ🇭🇹)で、奴隷たちが「もう我慢ならねえ!俺たちの自由は俺たちで掴む!」って立ち上がって、なんと当時世界最強だったナポレオン軍をぶっ飛ばして、世界初の黒人共和国を建国しちゃったんだ! 🔥🔥🔥
これにはヨーロッパ中が「マジか…奴隷、なめてたわ…😨」ってビビりまくった。
そんなこんなで、19世紀、ついに奴隷貿易や奴隷制度は次々と廃止されていくんだ。
よかった、よかった…一件落着!めでたしめでたし!…とは、ならなかったんだな、これが。😭
奴隷っていう「人」に興味をなくしたヨーロッパが次に目をつけたのは、アフリカ大陸そのものが持つ「資源」だったんだ。ダイヤモンド💎、金✨、ゴム🌳…。
でも、当時のヨーロッパ人にとって、アフリカの内陸部はガチで未知の世界。「暗黒大陸」なんて失礼な呼び方で、何があるか全然わかってなかった。
その未知の扉を開けちゃったのが、デイヴィッド・リヴィングストンっていう探検家でありお医者さんであり宣教師でもある、スーパーマンみたいな人。
彼は純粋に「アフリカの人々にキリスト教の教えを広めたい!🙏」「悲惨な奴隷貿易をこの目で見つけて、やめさせたい!」っていうアツい想いを持って、アフリカを探検したんだ。
巨大な滝を見つけて「ヴィクトリアの滝」って名付けたり、ヨーロッパにアフリカの情報をたくさん伝えた、すごい人なのは間違いない。
でもね…彼の善意の裏には、「ヨーロッパの文明やキリスト教は優れてる✨アフリカの文化は遅れてるから、俺たちが救ってやらないと!💪」っていう、無意識の”上から目線”があったんだ。
そして、彼が開いた「善意の扉」から、もっとヤバい奴が入ってくる。
探検中に行方不明になったリヴィングストンを探し出して一躍有名になったジャーナリスト、ヘンリー・スタンリー。彼はその後、ベルギーの王様に雇われて、コンゴを探検するんだけど、その目的は…来るべき植民地争奪戦の場所取りのためだったんだよ。🗺️📌
リヴィングストンが善意で開けた扉。
その向こうには、アフリカにとってさらに過酷な「帝国主義」の時代が待っていたんだ…。
第3章:ケーキのように切り分けられた大陸🍰 ~帝国主義の嵐~
19世紀後半、ヨーロッパの国々は「もっとカネ!💰 もっと土地!🗺️ もっと俺ら SUGEEE!👑」っていう帝国主義の時代に突入する。
その欲望のターゲットにされたのが、アフリカ大陸だった。
イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー…みんなが「俺が!俺が!」ってアフリカに殺到して、ガチの早い者勝ち競争が始まっちゃったんだ。これじゃ戦争になっちゃう!ってことで、
「まあまあ、一旦落ち着こうや。会議開いて、平和的にアフリカを分けようぜ👍」
って開かれたのが、1884年のベルリン会議。
でも、この会議、マジで歴史上トップクラスにヤバい。
なぜなら、アフリカの運命を決める会議なのに、アフリカ人が一人も呼ばれてないから。🤯
想像してみて?
君の部屋の模様替えを、君に黙って、近所のおじさんたちが集まって勝手に決めてるようなもんだよ?ありえないでしょ!?
彼らはアフリカの地図をテーブルに広げて、「この川からこっちはイギリスね〜」「じゃあ、うちはこの山の向こうをいただくわ〜」って、定規📏で線を引いて、まるでケーキを切り分けるように、アフリカを分割していったんだ。
そこに昔から続く王国があるとか、同じ民族がバラバラにされちゃうとか、そんなのお構いなし。今の多くのアフリカの国境が、やたらと不自然な直線なのは、この時のせいなんだよ。
なんでこんな横暴が許されたかって?
当時のヨーロッパの理屈じゃ、アフリカは「無主の地(terra nullius)」、つまり「持ち主のいない土地」ってことにされてたから。
「いやいや、人住んでるじゃん!」って話なんだけど、「我々ヨーロッパ基準の国家じゃないからノーカンな😜」っていう、マジで身勝手なトンデモ理論で、自分たちの侵略を正当化したんだ。
この帝国主義を象徴するラスボス級の人物が、イギリス人のセシル・ローズ。
南アフリカでダイヤモンド💎を掘り当てて大金持ちになった彼は、ケープ植民地の首相にまでなって、とんでもない夢を抱く。
「アフリカの南の端っこケープタウンから、北の端っこカイロまで、全部イギリスのものにして、そこに鉄道をぶち通すんじゃー!🚃💨」
っていう壮大な「アフリカ縦断政策」を計画したんだ。ヤバいよね(笑)
結局、この夢は実現しなかったけど、彼の会社はどんどん北へ進出して、自分の名前にちなんで「ローデシア(ローズの国)」なんていう国まで作っちゃった。
彼らが作った鉄道は、アフリカの人々の生活のためじゃなく、ひたすら内陸の資源(ダイヤ💎、金✨、象牙🐘)を港に運んで、ヨーロッパに運び出すためだけのものだった。まさに「吸い上げるストロー」だよね。🥤
もちろん、アフリカの人々もただ黙って支配されてたわけじゃない。
各地で必死の抵抗運動が起きたんだ。特にエチオピア帝国🇪🇹はマジですごい。近代的な軍隊を整えて、侵略してきたイタリア軍をボッコボコにして撃退!独立を守り抜いたんだ。 これは本当に奇跡的な勝利だった。🏆✨
でも、このエチオピアと、アメリカの解放奴隷が建国したリベリア🇱🇷っていう2つの国を除いて、1914年には、アフリカ大陸のほぼすべてが、ヨーロッパのどこかの国の植民地になっちゃったんだ…。
おわりに:歴史は、まだ終わらない。
奴隷として「人」を根こそぎ奪われ、
探検家によって「未知」のベールを剥がされ、
最後には帝国主義によって「土地」そのものを切り刻まれたアフリカ。
この400年間の歴史は、本当にアフリカにとって暗く、悲しい時代だった。
そして、この時に引かれた自分勝手な国境線や、富を吸い上げるためだけの経済の仕組みは、今のアフリカが抱える紛争や貧困の問題に、深く、深くつながっているんだ。
でもね、物語はここで終わりじゃない。
この後、アフリカの人々は、二つの世界大戦を経て、「俺たちの未来は、俺たちで決める!」って、独立への熱い想いに目覚めていくんだ。その話は、また次の機会に。😉
どうだったかな?
君が今飲んでるその一杯のコーヒー☕️。その向こうには、こんなにも壮大で、痛みに満ちた物語が広がっているんだ。
この話を知ったからって、明日からコーヒーを飲むな!なんて言うつもりは全くないよ。
ただ、「私たちが生きるこの世界は、いろんな国の、いろんな人々の、いろんな歴史の上に成り立ってるんだな」って、ほんの少しだけ想像してみてほしいんだ。
それこそが、退屈な暗記科目じゃない、生きた「世界史」を学ぶ、最高にエキサイティングな第一歩だと思うから!
最後まで読んでくれて、本当にありがとう!💖
また次の記事で会おうね!👋
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