タイトル:死を想え――「死」とともに生きるということ
第1章:この授業がめざすこと
この授業では「死」をテーマに取り上げます。まず初めに、この授業でどんなことを学ぶのか、何を考えていくのかを説明します。そして、みなさんに「死」について改めて向き合ってもらいたいと思います。
授業のキーワードは「memento mori(メメント・モリ)」というラテン語です。これは「死を思え」や「死を忘れるな」という意味で、中世のキリスト教文化で、自分も必ず死ぬという事実を意識して生きるようにと伝える言葉です。
第2章:写真がとらえた死
「死」というものを身近に感じるために、宮崎学さんの写真集『死』を紹介します。1994年に出版されたこの本には、山の中で死んだニホンカモシカが自然の中でどう変わっていくかが記録されています。
宮崎さんは、カモシカのそばにカメラを設置し、時間とともに姿がどう変化するかを記録しました。まず虫たちが集まり、ハエが卵を産み、ウジがわきます。次にタヌキが現れて体を食べはじめ、栄養を得てふっくらとしていきます。冬に備えて命をつないだのです。
その後、モモンガが毛を寝床に使おうとし、やがて雪が降って死体は見えなくなります。春になって雪がとけると草が生え、骨も見えなくなっていきます。最終的に骨は土にかえり、自然の一部になります。
宮崎さんは「死は生の出発点である」と語っています。一つの命の終わりが、他の命を支える始まりになるということです。死は終わりではなく、命の循環の一部なのです。
第3章:人の死も変わっていく――九相図の世界
こうした死の変化は人間にも当てはまります。日本には昔から「九相図(くそうず)」という絵巻があり、人の死体が時間とともにどう変化するかを9つの段階に分けて描いています。
たとえば、『九想観法図絵』には、死んですぐの「新死想」から始まり、体がふくらむ「肪脹想」、皮が裂けて血や膿が出る「血塗想」へと進みます。そのあと体がしぼみ、腐っていく「肪乱想」、ウジがわく「生虫想」、動物に食べられる「噉食想」へと続きます。
さらに、体が青黒くなる「青瘀相」、肉がなくなり骨だけになる「白骨想」、骨がバラバラになる「骨散想」、最後に土にかえる「古墳想」へと移ります。
この「九相図」は、美しい女性・小野小町の死を通して「どんなに美しくても死は平等に訪れる」ということを伝えるためにも使われました。
第4章:死のとらえ方――文化のちがい
死のとらえ方は文化によってさまざまです。たとえば、モンゴルでは昔、風葬という方法がありました。遺体を馬に乗せて放ち、どこかで自然に落ちた場所にそのまま置いてくるのです。これは「体に価値はなく、魂が大切」という考え方からきています。
今では風葬はほとんど行われていませんが、昔の墓地を訪ねると、遺体がそのまま置かれていた痕跡が残っています。このように、「死体」をどう扱うかは文化や宗教、歴史によって大きく異なります。
第5章:死者と生きる人をつなぐもの
これまで見てきたような自然の中での命のめぐりとは別に、私たちが大切に思う人の死には、もっと個人的で深いつながりがあります。
誰かを亡くしたとき、私たちはその人との思い出や関係を形にしたいと願います。たとえば、お葬式を行ったり、仏壇やお墓を作ったり、手を合わせたりするのもその一つです。こうした行いは、死者と生きている私たちをつなぐ大事な手段なのです。
この授業では、そうした「死と向き合う文化」について、いろいろな角度から考えていきます。
おわりに
死は怖いもの、避けたいものとして扱われがちですが、きちんと向き合うことで、「どう生きるか」が見えてくることもあります。「死を想え(memento mori)」という言葉のように、死を意識することは、よりよく生きるためのヒントになります。
これで1回目の授業は終わりです。これから一緒に「死」について考えていきましょう。
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